はじめに
母を描く戯曲には、家族劇の中でも特有の切実さがあります。母は最も身近な存在でありながら、子どもにとっては理解しきれない他者でもあります。その近さと遠さが同時に立ち上がるため、母を軸にした作品は、観客に強い共感と痛みを残しやすいです。
また、母の存在を扱う作品は幅が広いです。母を失った後に記憶と向き合う物語もあれば、介護の現場を通じて親子関係を見直す作品、家を出た母の不在が家族全体を揺らす作品もあります。団体の人数や年齢層、届けたい後味に応じて選びやすいテーマでもあります。観客の人生経験が反応しやすい題材なので、上演後の感想の広がりを作りやすい点も大きな魅力です。
今回は、戯曲図書館に掲載されている作品の中から、母が物語の核になっている7本を選びました。重い題材だけでなく、旅や会話の可笑しみを通して母を描く作品も含めています。上演候補としても、読書用の一本としても選びやすいようにご紹介します。
1. 『私の娘でいて欲しい』吉岡克眞
上演時間: 110分 | 出演者数: 11人(男2・女9)
20歳の誕生日の前日、皐月の部屋に姉が現れたことをきっかけに、母との記憶が誕生日ごとによみがえっていく作品です。母が家を出た日、新しい母を迎えた日、戻ってきた母と向き合った日が重なり、娘であることの複雑さが浮かび上がります。
魅力は、母を単純な加害者にも被害者にもせず、娘たちの側の怒りや未練まで丁寧に描いている点です。女性キャストを厚く使えるため、感情の層が見えやすい作品でもあります。
上演では、回想の切り替えを整理し、年齢や時間のズレが一目で伝わる設計にすると見やすくなります。家族の歴史をしっかり積み上げたい団体に向いています。
2. 『母と惑星について、および自転する女たちの記録』蓬莱竜太
上演時間: 150分 | 出演者数: 4人(女4)
急死した母の遺骨を散骨するため、三姉妹がイスタンブールを旅する物語です。道中で骨をなくしたり、高価な絨毯を売りつけられたりしながら、姉妹はそれぞれの中に残る母の姿を思い返していきます。
この作品の強みは、喪失を重苦しく閉じず、旅の混乱や笑いの中で母の不在を浮かび上がらせるところです。姉妹の会話から、母をめぐる距離感の違いも自然に見えてきます。
上演のポイントは、異国情緒を飾りすぎるより、4人の会話と身体のリズムで旅の不安定さを立ち上げることです。少人数で密度の高い母娘・姉妹劇をやりたい場合に有力です。
3. 『トリガー』山田裕幸
上演時間: 80分 | 出演者数: 7人(男4・女3)
認知症の母を介護するため、妻と別居し仕事まで辞めた男が、母と暮らす公営住宅で再出発を試みる物語です。周囲の人々が家を訪れるたびに、介護だけでは言い切れない親子の重さと孤独が見えてきます。
魅力は、介護を社会問題として処理するだけでなく、母を世話する側の疲労や罪悪感まで具体的に描いていることです。観客にとっても他人事になりにくく、現代的な切迫感があります。
上演では、説明的な芝居に寄せすぎず、生活の匂いが出る間合いを大切にしたいです。現代の家族をリアルに見せたい団体におすすめです。
4. 『水平線の歩き方』成井豊
上演時間: 60分 | 出演者数: 8人(男4・女4)
泥酔して帰宅した男の前に、23年前に死んだはずの母が現れるところから始まる作品です。信じられない再会の中で、主人公は12歳以降の自分の人生を語り直し、母と過ごせなかった時間を埋めるように向き合っていきます。
この作品は、死別した母との対話という設定が分かりやすく、それでいて安易な感傷に流れにくいのが魅力です。60分でまとまっているため、学校公演や中編企画にも組み込みやすいです。
上演するなら、幽霊的な不思議さを強調しすぎず、親子の会話そのものに重心を置くと効きます。短めの上演時間でしっかり余韻を残したいときに選びやすい一本です。
5. 『まほろば』蓬莱竜太
上演時間: 120分 | 出演者数: 7人(女7)
名家として知られた家に、仕事を理由に結婚しない長女、父親不明の娘を産んで戻ってきた次女、そして娘たちに苛立つ母が集まり、祭りの夜に本音をぶつけ合う会話劇です。
母を描く作品として面白いのは、母その人だけでなく、母と娘たちの価値観のずれが家全体の空気を支配しているところです。誰か一人が正しいわけではなく、全員が少しずつ窮屈です。
上演では、怒鳴り合いに頼らず、日常会話の温度差から圧を立ち上げることが重要です。女性アンサンブルで濃い家族劇に挑戦したい団体に合います。
6. 『自慢の息子』松井周
上演時間: 100分 | 出演者数: 6人(男3・女3)
引きこもりの息子と母親の関係を軸に、家族の内部で何が名づけられ、何が隠されてきたのかを問い直していく作品です。母が亡き夫との関係を語るところから始まり、現実と虚構の境目が揺れ続けます。
魅力は、母子関係をわかりやすい和解の物語にせず、不気味さや曖昧さを残したまま観客へ返してくることです。心理劇としての強度が高く、観た後に考えが残ります。
上演のポイントは、解釈を一つに固定しすぎないことです。登場人物の正体や距離感を少し開いたまま進めると、作品特有の不穏さが生きます。
7. 『春母夏母秋母冬母』糸井幸之介
上演時間: 105分 | 出演者数: 2人(男1・女1)
四季をめぐりながら、母と子の関係を音楽とともに見つめる二人芝居です。大きな事件を連続させるというより、母という存在が人生の季節ごとにどう見え方を変えるかを、詩情豊かに描いていきます。
この作品の魅力は、母を具体的な家庭の問題としてだけでなく、記憶や時間の感触として立ち上げている点です。写実的な家族劇とは違う柔らかさがあります。
上演では、説明よりもリズムと音の流れを大切にすると、作品の余韻が深まります。少人数で繊細な母子劇を探している場合にぴったりです。抽象度のある舞台づくりとも相性がよいです。
母テーマの戯曲を選ぶときのガイド
母そのものを描くのか、母の不在を描くのか
母を扱う作品は、母が舞台上で強く存在するものと、すでに失われた母の記憶をたどるものに大きく分かれます。衝突の熱量を出したいなら『まほろば』や『私の娘でいて欲しい』、喪失後の余韻を重視したいなら『母と惑星について、および自転する女たちの記録』や『水平線の歩き方』が選びやすいです。
配役と温度感の相性
母ものはテーマの重さに目が行きがちですが、実際には配役の相性がかなり重要です。母役に強い存在感が必要な作品もあれば、子ども側の視点が中心になる作品もあります。人数だけでなく、誰の物語として見せたいのかを先に決めると選びやすいです。
感情を急がず、生活の手触りを残すこと
母をめぐるドラマは、感情を大きく出せば成立するわけではありません。食卓、介護、帰省、誕生日といった生活の具体があるほど、観客には切実さが届きます。稽古では泣きどころを探すより、日常の呼吸をそろえることを優先したいです。
こんな団体に特に向いています
母テーマの作品は、家族劇に挑戦したい団体にはもちろん、観客に身近な問題を届けたい団体にも向いています。たとえば、会話劇で俳優同士の関係性をしっかり見せたいなら『まほろば』や『私の娘でいて欲しい』が扱いやすいです。少人数で濃い感情のやり取りを見せたいなら『母と惑星について、および自転する女たちの記録』や『春母夏母秋母冬母』が候補になります。
また、現代的なテーマ性を求めるなら『トリガー』の介護や、『自慢の息子』の母子関係の歪みが強い武器になります。学校公演や地域公演のように上演時間を抑えたい企画では『水平線の歩き方』も選びやすいです。同じ母テーマでも、泣ける作品に寄せるのか、笑いを交えた余韻を残すのか、不穏さを強めるのかで舞台の印象はかなり変わります。企画書の段階で後味を言語化しておくと選定しやすいです。
読書用に選ぶ場合は、自分の経験に近い入り口がある作品から読むと入りやすいです。上演候補として選ぶ場合は、母役を中心に据えるのか、子どもの側の視点で見せるのかを先に決めておくと、企画全体の軸がぶれにくくなります。
まとめ
母を描く戯曲は、家族の近さと息苦しさ、優しさと怒りを同時に扱える強いテーマです。観客それぞれの経験と結びつきやすいため、うまく上演できれば深い余韻を残しやすいです。読み物としても濃いテーマです。
今回ご紹介した7作品は、いずれも戯曲図書館で詳細を確認できます。母との衝突を描きたいのか、不在の母を見つめたいのか、あるいは介護や再生まで含めて現代的に扱いたいのかを考えながら、次の一本を選んでみてください。
母という存在は、近すぎるからこそ簡単には言葉になりません。その言葉にならなさをどう舞台に置くかで、作品の手触りは大きく変わります。気になる作品があれば、上演時間、配役人数、あらすじを見比べながら、自分たちがいま最も誠実に向き合える一本を探してみるのがおすすめです。
この記事で紹介した戯曲
Written by
戯曲図書館 編集部
演劇経験者が運営する戯曲検索サービス「戯曲図書館」の編集チームです。 脚本選びのノウハウ、演劇業界の最新情報、公演レポートなどを発信しています。
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