戯曲を「眠らせない」ための新しい試み
2026年10月、劇団「趣向」が始めた「本が芝生の共有地」が、演劇界に一つの問いを投げかけました。劇作家・オノマリコさんが、自身の過去作品を「コモンズ」、つまり共有地として開いていく試みです。第1弾では、2010年発表の『Compassion』と、2016年発表の『泡(うたかた)』を対象に、戯曲テキストを公式サイトで公開し、上演料を無料にしました。さらに、上演を希望する個人や団体は、事前の上演許可なしに上演できると案内されています。
この動きは、単に「無料で使える脚本が増えた」という話ではありません。戯曲が一度上演されたあと、作者や劇団の倉庫にしまわれるのではなく、別の俳優、別の演出家、別の地域、別の学校で再び立ち上がるための仕組みを、作者自身がつくろうとしているからです。
オノさんは公式発表の中で、戯曲の多くが一度の上演を終えたあと、日の目を見ないまま眠っていくことへの問題意識を示しています。アーカイブは資料を保存できますが、保存されたテキストが自動的に読まれ、演じられるわけではありません。戯曲を「残す」だけでなく、「使える状態で手渡す」こと。その差を見つめたところから、「本が芝生の共有地」という発想が生まれています。
ニュースとしては、劇団が二作品を上演したという出来事です。しかし、戯曲図書館の読者にとって重要なのは、その公演結果だけではありません。これは、劇作家が自分の作品をどのように未来へ送り出すか、そして上演する側がどのように作品を受け取り、変化させていくかを考える実践です。
「著作権フリー」は、権利を捨てることではありません
まず整理しておきたいのは、「著作権フリー化」という言葉の意味です。今回の取り組みで、オノさんが劇作家としての著作者人格権や作者名を手放したわけではありません。作品の著作権が消滅したわけでも、誰の作品か分からなくなったわけでもありません。作者が権利者として、一定の条件のもとで上演を広く認め、上演料と個別許可のハードルをなくしている、と理解するのが適切です。
文化庁の著作権契約マニュアルは、他人がつくった戯曲を上演する場合、原則として著作者または著作権者の了解が必要だと説明しています。つまり通常の既成戯曲では、上演団体は作品を探すだけでなく、権利者を確認し、上演日時、会場、回数、入場料、台本の変更などを伝えて許諾を得なければなりません。上演料の支払いが必要になる場合もあります。
この仕組みは、劇作家の創作を支えるために欠かせません。戯曲を書くことが仕事として続いていくためには、上演によって対価を得る道が必要です。作者の許可なしに台詞や構成を変えられないのも、作品を守るために重要です。したがって、すべての戯曲を無料で自由にすることが、いつでも正しいとは限りません。
だからこそ、今回の企画は「著作権はいらない」と主張するものではありません。むしろ、著作権を持つ作者が、自分の作品について、あえて上演の入口を広く設定する試みです。権利を放棄するのではなく、権利をどう使うかを作者が選び直す。その意味で、これは著作権制度の外側に逃げるのではなく、制度の内側から利用の形を組み替える活動です。
上演する側にとっては、費用と手続きが減ることで、作品に出会う可能性が大きくなります。一方で、自由になったから何をしてもよいという意味ではありません。作者名を表示すること、作品の趣旨を尊重すること、改変や録音・配信などの扱いを確認することは、これまでと同じように大切です。今回のコモンズ化がどこまでを許しているのかは、公開された作品ごとの案内を必ず確認する必要があります。
なぜ「アーカイブ」ではなく「共有地」なのか
戯曲を保存する取り組みは、すでに日本でも進んでいます。日本劇作家協会の戯曲デジタルアーカイブは、劇作家の作品を収集し、テキスト、作者情報、初演情報、上演許諾に関する情報をまとめて公開してきました。戯曲を読める状態にすることは、作品の散逸を防ぎ、研究や上演の入口を増やします。
ただし、アーカイブという言葉には、どうしても「保管庫」のイメージがあります。重要な資料を安全にしまい、必要な人が取り出せるようにする場所です。それに対して、コモンズは、複数の人が使いながら維持し、使い方のルールを更新していく共有資源です。
芝生を想像すると分かりやすいかもしれません。誰も踏まなければ芝生はきれいなままですが、同時に誰の生活にも入りません。人が歩き、座り、遊び、時には傷んだ場所を手入れすることで、芝生は公共的な場所になります。戯曲も同じです。読まれ、声に出され、稽古場で試され、上演され、別の人に感想が渡されることで、テキストは単なる保存物から、次の創作を生む資源へ変わります。
もちろん、共有地には管理が必要です。誰でも使えると言っても、土台を荒らしてよいわけではありません。戯曲の場合は、作者名の表示、改変の範囲、二次利用、配信や出版の扱いなどを、作者と利用者の間で分かりやすく共有する必要があります。自由さと無秩序は別物です。コモンズを育てるには、利用者がルールを読み、作品への敬意を持って参加することが欠かせません。
ここに、今回の取り組みの慎重さがあります。公式発表では、すべての作品を一度に「フリー素材」にするのではなく、共有地を育てていくイメージが示されています。対象作品を少しずつ増やし、どんな反応があり、どんな問題が起きるのかを確かめながら進める。大きな宣言だけで終わらず、運用を通じて制度をつくる姿勢です。
二作品の同時上演が示す「再創造」の可能性
「本が芝生の共有地」では、『Compassion』をオノマリコさん自身が演出し、『泡(うたかた)』をスヌーヌーの笠木泉さんが演出しています。ここで注目したいのは、二作品を公開するだけでなく、同じ企画の中で異なる演出家に渡している点です。
『Compassion』は作者自身の演出によって、初演から時間を隔てた現在の身体や俳優との関係の中で読み直されます。過去に書いた作品を、作者がもう一度自分の手に戻す作業です。一方の『泡(うたかた)』は、別の演出家である笠木泉さんの視点を通ります。作者のテキストが、作者以外の身体と演出の論理によって新しく立ち上がります。
この二つを並べることで、コモンズ化の意味が見えやすくなります。作品は「作者のもの」であると同時に、上演されるたびに新しい関係の中へ置かれるものです。作者が一人で抱え続けるのではなく、他者に渡すことで、眠っていたテキストに別の時間が流れ始めます。
戯曲は、小説のように読者が頭の中で完結させる文章とは少し違います。台詞の間、俳優の声、立ち位置、照明、観客の反応によって、同じ文字列でも意味の重心が変わります。だから上演許可が下りた作品でも、テキストがそのまま舞台になるわけではありません。誰がどう読むかによって、作品は毎回つくり直されます。
この「つくり直されること」を、作者が最初から受け入れる仕組みがコモンズです。作者の意図を無視してよいのではありません。むしろ、作品が他者の手に渡ったあとに生じる解釈の幅を、創作の一部として認めることです。
学校演劇と地域演劇に何をもたらすのか
この仕組みが特に大きな意味を持つのは、学校演劇、大学の学生劇団、地域のアマチュア劇団です。こうした団体では、上演したい作品が見つかっても、許可申請の方法が分からない、返信を待つ時間がない、上演料を予算化できない、といった理由で候補から外れてしまうことがあります。
作品選びでは、上演時間、人数、性別、舞台装置、技術的な難しさが検討されます。しかし、その前段階に「権利処理ができるか」という壁があります。顧問や学生が作者へ連絡することに不安を感じ、結果として、すでに学校で何度も上演された作品だけが繰り返し選ばれることもあります。
上演料無料・許可不要の作品が増えれば、この壁は低くなります。特に、戯曲が公式サイトで読める状態になっていれば、指導者や部員は上演前に作品との相性を確かめられます。上演時間や登場人物の構成を確認し、実際の稽古を想像したうえで選べます。これは「無料だから便利」という以上に、作品選択の質を上げることにつながります。
ただし、学校演劇で使う場合も、何でも自由に改変してよいとは限りません。日本脚本家連盟の案内でも、非営利で無料の学園祭などでは原則申請不要とされる場合がある一方、台詞や場面の削除、内容変更には脚本家の同意が必要だと説明されています。今回のコモンズ作品についても、公開時に示された利用条件を読み、カットや人数変更、上演の記録公開について確認するのが安全です。
また、無料で上演できることと、上演にお金がかからないことは別です。会場費、照明、音響、衣装、宣伝、交通費、記録費は必要になります。作者への上演料がゼロになった分を、俳優やスタッフの稽古時間、技術費、アクセシビリティのための費用に回すという考え方もできます。コモンズ化は演劇のコストを消すのではなく、どこに資源を配分するかを考え直すきっかけになります。
作家の収入を守りながら、作品を開くには
ここで避けて通れないのが、劇作家の生活と作品公開の関係です。上演料を無料にすれば、劇作家の収入が減る可能性があります。作品が多く上演されることは、必ずしも新作の執筆料や生活費につながりません。読者や上演団体が「無料で使える」ことだけを求めれば、作者に創作の負担が集中する危険もあります。
そのため、今回の動きをすべての劇作家に広げるべきだ、と単純に言うことはできません。作者が経済的な理由で上演料を必要とする場合、無料化は選択肢になりません。誰かが無料で公開しているからといって、他の作者にも同じ条件を求めてよいわけではありません。
むしろ大切なのは、作品ごとに「何を開くのか」を作者が決められることです。上演料だけを無料にするのか、個別許可を不要にするのか、学校演劇に限るのか、非営利公演に限るのか。改変や録画は認めるのか。作品を公開する代わりに、新作の執筆依頼やワークショップ、寄付、上演後のフィードバックにつなげるのか。コモンズは、一律の無料化ではなく、持続可能な関係を設計する活動であるべきです。
オノさんが公式発表で、他の劇作家の権利、つまり上演料の獲得を阻害しないよう注意すると述べているのは重要です。自分の作品を開くことが、他人にも無料を求める空気を生まないか。劇作家の仕事を安く見る風潮を強めないか。そのリスクを考えたうえで、限定的な実践として始めているからです。
読者や上演団体の側にも責任があります。無料で使える作品を見つけたとき、それを「タダの材料」と考えるのではなく、作者の仕事に触れる入口として受け取ることです。公演パンフレットやウェブサイトで作者名を明記し、作品を知った経緯を伝え、可能なら作者の新作や他の活動にも関心を向ける。無料化された作品をきっかけに、演劇を支える人が増えるなら、共有地は作者の生活と対立せずに育ちます。
戯曲図書館で関連作品を読む
オノマリコさんの作風をもっと知りたい方は、戯曲図書館に掲載されている作品から読み始めるのがおすすめです。たとえば、『解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話』は、失われていく建築と、人が場所に託してきた記憶を重ねる作品です。建物がなくなることを、単なる風景の変化ではなく、そこにいた人々の関係が変わる出来事として描いています。
『男子校にはいじめが少ない?』では、学校という閉じた空間の中で、一般論やイメージが個人の経験を覆っていく構造を読むことができます。タイトルに疑問符があるように、分かりやすい答えを提示するのではなく、誰が何を「普通」と呼ぶのかを会話の中で揺さぶる作品です。
さらに、『恋するヨウカイ』は、若い観客や出演者にも開かれた親しみやすさを持ちながら、他者との距離や自己像の揺れを扱っています。オノさんの戯曲を読むと、身近な会話の中に社会の圧力が入り込み、人物がその圧力をどのように受け取り、言い換え、かわそうとするのかが見えてきます。
今回の『Compassion』と『泡(うたかた)』が公開されることで、読者は作品を「観る」だけでなく、テキストそのものに触れ、上演の可能性を考えられるようになります。どの作品から読むか迷う場合は、オノマリコさんのプロフィールと代表作の紹介も参考になります。
また、戯曲の利用条件を確認したい方は、演劇の上演許可の取り方完全ガイドや、無料で使える演劇台本・フリー脚本まとめも役立ちます。無料で読めることと、自由に上演できることは同じではありません。作品ごとの規約を確認する習慣を持つことが、作者と上演団体の双方を守ります。
コモンズ化された戯曲を上演する人へ
もし『Compassion』や『泡(うたかた)』を上演したいと思ったら、まずは公式サイトで最新のテキストと利用条件を確認してください。そのうえで、次のような準備をすると、作品を共有地として育てる参加者になれます。
第一に、テキストを最後まで読み、上演時間や出演人数だけでなく、作品が何を問いかけているかを把握することです。無料だから短時間で決めるのではなく、稽古場でどんな会話が必要になるかを考えます。
第二に、改変する場合は、公開条件の範囲を確認します。台詞のカット、順番の変更、登場人物の統合、翻訳、配信、録画は、それぞれ扱いが異なる可能性があります。許可不要と書かれていても、許可不要の範囲を勝手に広げないことが大切です。
第三に、作者と作品へのクレジットを丁寧に表示します。劇場のチラシ、予約ページ、パンフレット、動画概要欄など、観客が作品情報を確認できる場所に作者名と作品名を明記します。
第四に、上演後の反応を可能な範囲で共有します。どの場面が観客に届いたのか、俳優はどこで難しさを感じたのか、地域や学校によって読み方がどう変わったのか。こうした記録は、次に上演する人にとって貴重な手がかりになります。共有地は、使う人の経験が積み重なって初めて豊かになります。
まとめ──戯曲は、上演されるたびに未来へ移動する
「本が芝生の共有地」は、二本の戯曲を無料で上演できるようにした企画です。しかし、その本質は値段の変更ではありません。戯曲を一度きりの公演の記録から、別の人が再び使える共有資源へ変えることです。
オノマリコさんの実践が示しているのは、作者が権利を守りながら、作品の未来を他者に託す方法です。アーカイブが過去を保存するものだとすれば、コモンズは過去の作品を現在の稽古場へ運び、そこから未来の観客へ渡す仕組みです。
もちろん、無料化だけで演劇の課題が解決するわけではありません。劇作家の収入、上演団体の負担、改変のルール、記録や配信の扱いなど、考えるべきことは残っています。それでも、誰かが作品を開き、別の誰かが責任を持って受け取り、さらに別の誰かへ渡すという循環が始まることには大きな意味があります。
戯曲は、紙やPDFの中で完成するのではありません。声になり、身体になり、観客の時間に置かれたとき、別の姿を見せます。『本が芝生の共有地』が育てようとしているのは、その変化を恐れずに作品を手渡すための場所です。今回公開される二作品を読むことは、過去のオノマリコ作品を知るだけでなく、戯曲をどう共有し、どう未来へ運ぶのかを考える入口になります。
参考情報
- 趣向「【演劇公演と戯曲公開企画】『本が芝生の共有地』」
- ステージナタリー「オノマリコが戯曲の著作権フリー化開始、発足企画となる『本が芝生の共有地』開幕」
- 文化庁「契約書作成マニュアル Chapter2 Section2」
- 日本劇作家協会「戯曲デジタルアーカイブ」
- 日本脚本家連盟「高校の学園祭で連盟員の戯曲を上演したいのですが、申請は必要ですか?」
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この記事で紹介した戯曲
Written by
戯曲図書館 編集部
演劇経験者が運営する戯曲検索サービス「戯曲図書館」の編集チームです。 脚本選びのノウハウ、演劇業界の最新情報、公演レポートなどを発信しています。
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