戯曲図書館
メニュー

© 2024 戯曲図書館

グローブ座『恋の骨折り損』はなぜフラメンコなのか──言葉の喜劇を“身体の演劇”として読み直す

13分で読めます
#海外演劇ニュース#シェイクスピア#恋の骨折り損#フラメンコ#グローブ座#古典再解釈
共有:
広告

フラメンコ化された『恋の骨折り損』というニュースの面白さ

2026年夏、ロンドンのシェイクスピア・グローブ座が『Love’s Labour’s Lost(恋の骨折り損)』をフラメンコに着想を得た新演出で上演します。演出はインディアナ・ラウン=コリンズ、上演期間は7月17日から9月13日までです。公式情報でも、今回の舞台は「これまでにないかたちで体験する『恋の骨折り損』」として打ち出され、情熱、欲望、機知、そしてメランコリーがせめぎ合う作品になると説明されています。

このニュースが興味深いのは、単に「古典に異文化の味付けをした」企画ではないからです。むしろ今回は、シェイクスピアの中でも特に“言葉に寄りすぎた喜劇”が、身体のリズムを獲得したとき何が起こるのかという実験として見るほうが本質に近いです。

『恋の骨折り損』は、シェイクスピアの喜劇の中でも上演頻度が高い作品ではありません。筋書きだけを言えば、ナヴァール王と3人の廷臣が学問に専念するため女性を遠ざける誓いを立てるものの、フランス王女と侍女たちの来訪によって、その誓いが崩れていく話です。ところがこの作品の魅力は筋よりも言葉にあります。駄洒落、言い換え、韻、修辞、からかい、求愛の応酬がぎっしり詰まっていて、読めば面白い半面、上演すると観客が“聞き疲れ”しやすい難物でもあります。

そこでフラメンコです。今回の演出は、作品の言葉の過剰さを削るのではなく、言葉と同じくらい強い身体の回路をもう一本通すことで、喜劇の熱量そのものを立ち上げようとしているように見えます。私はここに、この企画のいちばん大きな価値があると思います。


なぜ『恋の骨折り損』は上演が難しいのか

『恋の骨折り損』はしばしば「シェイクスピアで最も知的な喜劇」のひとつとして語られます。グローブ・プレイヤーの旧作紹介でも、王と廷臣が快楽を断って学問に向かう設定に対し、女性たちの来訪がその理屈を崩していく作品だと整理され、言葉の体操のような面白さが強調されていました。

ただ、この作品の難しさは、知的であること自体ではありません。難しいのは、登場人物たちがほとんど常に「話しすぎている」ことです。恋をしても素直に言えず、まわりくどい機知に変えてしまいます。恥ずかしさや欲望を、レトリックで包んでしまいます。そのため、読者にはおかしさとして届く箇所が、舞台では説明臭く見える危険があります。

さらに、この作品は喜劇でありながら、最後に完全な結婚で閉じません。グローブ座のデザイン解説でも触れられているように、作品の終わりにはきれいな大団円にならない陰りがあります。王女の父の死によって、恋愛は宙づりになり、男たちは一年待つよう求められます。つまり『恋の骨折り損』は、浮かれた恋愛喜劇であると同時に、言葉だけでは現実を押し切れないことを示す、少し苦い作品でもあります。

この「高揚」と「未解決」が同居する感じは、実はフラメンコとかなり相性がいいです。情熱だけで終わらず、喜びの裏に影があるからです。グローブ座の公式紹介でも、今回の舞台は歓喜と祝祭だけでなく、 longing、grief、melancholy を含む世界として説明されていました。ここは重要です。フラメンコが導入される理由は、単に華やかだからではありません。この戯曲がもともと持っていた“熱と翳り”を増幅できるからです。


フラメンコが足すのは装飾ではなく、圧力

ガーディアンの現地レポートによれば、今回の稽古では俳優たちが毎日3時間のフラメンコ・ブートキャンプを受けており、プロのフラメンコダンサーは一部で、他の出演者たちも身体ごとリズムを学んでいるそうです。演出のラウン=コリンズは、グローブ座の木の舞台でフラメンコがどれほど響くかを以前から確信していたと語っています。

ここで面白いのは、フラメンコが場面の飾りや余興として扱われていないことです。俳優の姿勢、歩き方、足さばき、間合い、そのものを変える装置になっています。ガーディアン記事でも、ヒール付きの靴を履くことが俳優の姿勢と存在感を変え、「power and presence」を与えると紹介されていました。

これは戯曲の読みとしても理にかなっています。『恋の骨折り損』の男たちは、理性で自分を律しようとしますが、結局は欲望と見栄に振り回されます。言葉の上では禁欲を語りながら、身体はそうなっていません。フラメンコが入ると、その食い違いが視覚化されます。口では抑制を語る人間が、足音や視線や呼吸ではすでに感情を漏らしている状態が作れるからです。

しかもフラメンコは、単に「激しい踊り」ではありません。踏み鳴らし、制止、間、視線、挑発、呼応がきわめて重要な芸能です。恋愛の駆け引き、言葉の応酬、侮辱と誘惑が交錯する『恋の骨折り損』にとって、これはかなり都合がいいはずです。会話劇に見えていたものが、実はずっと決闘に近かったのだと見えるようになります。


スペイン性の回収

今回の演出が単なる思いつきに見えないもう一つの理由は、『恋の骨折り損』自体がスペインを舞台にした作品だからです。舞台はナヴァールで、王と廷臣、そして外から来る王女一行の関係の中に、宮廷性と異国性が同時に存在します。

ラウン=コリンズは、公式情報や各紙の紹介で、自身のスペインのルーツを今回の演出に接続しています。デザイナーのケイティ・リアスも、グローブ座のアーチとスペインの tablao の建築的な共鳴に注目し、タイル、剥がれた壁、鮮やかな色彩、素朴さと退廃の同居を舞台美術の核に据えたと説明していました。

ここで大事なのは、「スペイン風にする」ことと「作品のスペイン性を演劇的に回収する」ことは違う、という点です。後者がうまくいくと、舞台美術や衣裳は異国趣味ではなく、戯曲の圧力そのものになります。リアスの解説では、男たちを白と金でまとめ、女性たちが到着することで色が戻る構想が語られていました。これは視覚的にきれいというだけではありません。禁欲と秩序を掲げる男の世界に、身体性と色彩を携えた女性たちが流入するという戯曲の対立が、そのまま衣裳のドラマになっています。

私はこの発想がとても良いと思います。なぜなら『恋の骨折り損』の面白さは、男たちが賢いことではなく、その賢さがいかに簡単に崩れるかにあるからです。白と金の世界は、最初から脆いのです。そこに靴音と色彩が入ってくると、理性の城が先に身体から崩れていくはずです。


言葉の喜劇から“身体の喜劇”へ

ガーディアンの記事でも、ラウン=コリンズはこの戯曲について「とにかく言葉が多い」と率直に語りつつ、だからこそ非常に身体的で内臓的なものを並走させたかったと説明していました。これは演出家としてかなり筋の通った判断です。

シェイクスピア喜劇には、言葉の機知で進む作品と、状況の混乱で進む作品があります。たとえば『十二夜』や『から騒ぎ』も言葉は重要ですが、人物の誤認や感情のねじれが明確な推進力になります。それに対して『恋の骨折り損』は、韻文の楽しさや言語遊戯が前に出やすく、現代の観客にとっては「頭ではわかるが、体感としては遠い」作品になりがちです。

その弱点を、今回の演出は逆手に取っています。言葉を減らすのではなく、言葉のリズムとフラメンコのコンパスを重ねることで、聞く快楽を身体化しようとしているのです。稽古場で俳優が台詞をフラメンコのリズムに沿って試したらうまくいった、というガーディアンの証言は象徴的です。つまりここでは、台詞が踊りの邪魔をするのではなく、台詞自体がすでに音楽に近づいています。

『恋の骨折り損』は、もともと韻文とカップレットが非常に多い戯曲です。ならばそれを「意味」だけで処理するのではなく、「拍」として観客に届けるやり方はあり得ます。日本でいうなら、難解な古典台詞を説明的に解体するのではなく、節回しや間合いそのものを演劇の推進力に変える発想に近いです。

戯曲を読む人にとっても、これは示唆的です。同じテキストでも、意味の解読だけに寄ると重く見える箇所が、リズムの設計を見出した瞬間に立ち上がることがあります。今回のグローブ座版は、その好例になりそうです。


女性たちの力関係

今回の企画で見逃したくないのは、フラメンコが単なる情熱の記号ではなく、女性たちの力を前景化する装置として使われている点です。ラウン=コリンズはガーディアンに対し、フラメンコの中心にはマトリアーキーがある、と語っていました。女性たちが異物として court に入るのではなく、その場を圧倒する側として描かれるわけです。

『恋の骨折り損』は、タイトルだけ見ると男たちの失敗談のようですが、実際には女性側がかなり主導権を持っています。王女と侍女たちは、求愛の言葉をうのみにせず、相手を試し、見抜き、最後には決定権を握ります。男たちが言葉で演じてみせる愛を、女性たちはいったん保留し、時間を要求します。

この構図は、フラメンコによってさらに鮮明になるはずです。足を鳴らし、空間を制圧し、視線で場を持っていく身体表現は、女性たちを「愛される客体」ではなく「関係を裁く主体」として見せやすいからです。グローブ座の公式説明でも、今回の舞台は「four women arrive in Navarre on a diplomatic mission」と、まず女性たちの来訪から物語を捉えています。これは小さな言い換えのようでいて、かなり重要です。

戯曲として読むときも、『恋の骨折り損』は男たちの修辞競争としてだけでなく、女性たちがその言葉をどう受け止めず、どう距離を取るかに注目したほうが面白いです。今回の新演出は、その読み筋をかなり押し広げてくれると思います。


関連作品の導線

このニュースから入るなら、関連して読みたい作品はいくつかあります。

まず当然ながら、出発点は『恋の骨折り損』です。シェイクスピアの中では上演頻度のわりに読まれる機会も少なめですが、言葉遊びの密度、終幕の苦味、宮廷喜劇としての人工性を味わうには格好の一作です。今回のニュースを知ったあとで読むと、「なぜここに踊りが要るのか」が見えやすくなります。

次に並べたいのは『から騒ぎ』です。こちらも機知に富んだ恋愛喜劇ですが、ベアトリスとベネディックの応酬は『恋の骨折り損』より感情の輪郭がつかみやすく、言葉の決闘がどうドラマに転化するかを追いやすいです。『恋の骨折り損』の言葉の多さにひるんだ人には、比較対象としてちょうどよいです。

さらに、スペイン的な情熱と死の気配という観点では、フェデリコ・ガルシーア・ロルカも強く連想されます。シカゴ大学出版局の『Finding Duende』紹介では、ロルカが語った duende が、天使やミューズではなく、演者と観客の双方から最良のものを引き出す、土着的で危険な力として説明されていました。今回のグローブ座版はロルカ作品の上演ではありませんが、フラメンコを通して立ち上がる「歓喜と死の近さ」は、ロルカ的な感覚とも確かに響き合います。

この連想からは、ロルカの『血の婚礼』『イェルマ』『ベルナルダ・アルバの家』もおすすめできます。いずれも恋愛や抑圧や共同体の圧力を扱い、身体と歌と沈黙が強く作用する作品です。もし今回の『恋の骨折り損』が成功するなら、シェイクスピアをロルカ化するというより、シェイクスピアの中にすでにあった熱と影を、ロルカ以後の観客にも届く形で可視化する舞台になるはずです。


日本の観客にとっての示唆

この話題は、日本の観客やつくり手にとっても他人事ではありません。日本でも、古典を現代にどう渡すかという問題はいつもあります。言葉を削るのか、翻案するのか、設定を更新するのか、身体表現を強めるのか。正解は一つではありません。

ただ、今回のグローブ座版が面白いのは、「わかりにくいから簡単にする」という方向に逃げていないことです。そうではなく、難しい作品の難しさを別の快楽に変換する方法を選んでいます。言葉の密度はそのままに、音と身体と色で観客の入口を増やしています。

これは日本の古典上演にも応用可能な考え方です。たとえば、台詞の情報量が多い戯曲を現代に渡すとき、意味の要約だけに頼ると平板になりがちです。しかし、リズム、呼吸、所作、音の反復を押し出せば、理解の前にまず体でつかめる上演が生まれます。今回のニュースが教えてくれるのは、古典の更新は「現代語化」だけではなく、身体化でもありうるということです。

しかも『恋の骨折り損』のような、いわばシェイクスピアの主流から少し外れた作品でそれを試すのが良いです。『ハムレット』や『リア王』のような巨大作ではなく、上演史の中でやや扱いに困られてきた作品だからこそ、大胆な演出の意味が立ちます。忘れられがちな戯曲が、新しい上演言語によって急に現在形になる。その瞬間こそ、演劇ニュースを追う醍醐味です。


まとめ

グローブ座の『恋の骨折り損』フラメンコ版は、話題先行のクロスオーバー企画ではありません。これは、シェイクスピアの中でも特に言葉に偏り、上演上の難しさを抱えてきた喜劇を、身体の演劇として再起動する試みです。

フラメンコが足しているのは、派手さではありません。欲望と抑制の衝突、女性たちの主導権、祝祭と哀しみの同居、そして言葉のリズムを身体へ返す圧力です。『恋の骨折り損』はもともと、恋愛をきれいに完了させない珍しい喜劇でした。その未完の感じ、言いすぎてしまう人間たちの滑稽さ、理性が身体に敗れる瞬間を考えると、今回のフラメンコ化はかなり本質的です。

ナタリー的な言い方をすれば「フラメンコ風の新演出決定」というニュースですが、戯曲の側から見ると、もっと面白い問いが含まれています。言葉でできた喜劇は、どこまで身体で読み直せるのか。

この問いにうまく答えられたとき、『恋の骨折り損』は“レアなシェイクスピア”ではなく、いま観るべき喜劇として立ち上がるはずです。


参考情報源

  • Shakespeare’s Globe「Love's Labour's Lost | Summer 2026 | What’s On」
  • The Guardian「I just knew it would sound incredible!: why the Globe is giving Shakespeare some flamenco fire」
  • Whatsonstage「Shakespeare’s Globe announces cast for Love’s Labour’s Lost」
  • Shakespeare’s Globe Blogs & Features「From Spain to stage: Designing Love's Labour's Lost」
  • Shakespeare’s Globe Player「Love's Labour's Lost (2009)」
  • University of Chicago Press / Swan Isle Press「Finding Duende: Duende: Play and Theory | Imagination, Inspiration, Evasion」

関連記事

Written by

戯曲図書館 編集部

演劇経験者が運営する戯曲検索サービス「戯曲図書館」の編集チームです。 脚本選びのノウハウ、演劇業界の最新情報、公演レポートなどを発信しています。

公開日: 2026-07-14

関連記事

← ブログ一覧に戻る
共有: