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『巨匠とマルガリータ』新国立劇場で日本初演へ|ブルガーコフの発禁小説をエドワード・ケンプが「劇作家の物語」に書き換えた意味

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#新国立劇場#巨匠とマルガリータ#ブルガーコフ#エドワード・ケンプ#上村聡史#小田島創志#翻訳戯曲
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2026年11月7日、新国立劇場 中劇場で『巨匠とマルガリータ』が開幕します。この公演は、9月に新国立劇場 演劇芸術監督に就任した上村聡史さんのシーズンオープニング作品であり、ソ連時代の発禁小説として知られるミハイル・ブルガーコフの長編を、英国の劇作家エドワード・ケンプが翻案した戯曲版の日本初演です。翻訳は、昨年亡くなった小田島雄志さんのご子息でもある戯曲翻訳家・小田島創志さんが手がけました。

10月5日に行われた制作発表会見では、キャスト全員と演出・翻訳が登壇し、「圧力鍋で料理をしているような密度」(上村)、「原稿は燃えない、という作品の魂」といった言葉が並びました。しかしこの公演の本当の重みは、キャスト発表や稽古のテンションの話ではありません。なぜ、2026年の日本で、ソ連時代に書かれた発禁小説を、新芸術監督が「最初の一本」に選んだのか。この問いに向き合わないと、この作品の意味は見えてこないのです。

本記事では、ブルガーコフが生涯をかけて書き続けた原作小説の成立史、エドワード・ケンプがなぜ「主人公を小説家から劇作家に変える」という大胆な翻案を行ったのか、そして小田島創志さんという翻訳者が引き継いでいる日本の戯曲翻訳の系譜までを掘り下げます。


開幕作『巨匠とマルガリータ』の基本情報

まず公演概要を押さえておきます。

  • 公演名:新国立劇場 2026/2027シーズン 演劇『巨匠とマルガリータ』
  • 会場:新国立劇場 中劇場(東京・初台)
  • 日程:2026年11月7日(土)〜11月23日(月・祝)
  • 原作:ミハイル・ブルガーコフ
  • 翻案:エドワード・ケンプ(2004年初演の戯曲版)
  • 翻訳:小田島創志
  • 演出:上村聡史(新国立劇場 演劇芸術監督)
  • 主なキャスト:成河(巨匠)、花乃まりあ(マルガリータ)、篠井英介(悪魔ヴォランド)、松島庄汰(若き作家イワン)、菅原永二(ファゴット)、大鷹明良(ポンティオ・ピラト)、ほか計18名

上村監督は就任記者会見で「物語のアップデート」を掲げました。その「一本目」として選ばれたのが本作です。ここに込められた意思を読み解くには、まず原作小説の数奇な歴史から見ていく必要があります。


「原稿は燃えない」——26年遅れて世に出た小説

ミハイル・ブルガーコフ(1891-1940)は、キエフ(現キーウ)生まれの医師であり作家です。革命後のソ連で白軍側に身を置いた過去を持ち、スターリン体制下で執筆活動を厳しく制限されました。彼が晩年、1928年から死の直前の1940年まで、約12年にわたり書き続けた最後の長編が『巨匠とマルガリータ』です。

焼かれ、書き直され、死後に発見された原稿

ブルガーコフは1930年、絶望の末に自分で原稿の一部を暖炉で焼いています。しかしその後、「自分には書かずにいることができない」と再び筆を取り、口述筆記で妻エレーナに続きを託しながら、死ぬまで推敲を続けました。生前、本作が公刊される見込みはゼロでした。

小説がようやく世に出たのは、ブルガーコフの死から26年後の1966〜67年です。しかもそれは文芸誌『モスクワ』に連載された検閲付きの短縮版でした。悪魔ヴォランドの登場場面や宗教的な記述が大幅にカットされた、妥協の産物です。カットされなかった部分がすべて復元された完全版が公刊されたのは、さらに後の1973年。発表までに実に33年を要したことになります。

「原稿は燃えない(Рукописи не горят)」

作中には、主人公「巨匠」が絶望して自分の原稿を暖炉に投げ込んだあと、悪魔ヴォランドが同じ原稿を無傷のまま差し出し、「原稿は燃えない」と告げる象徴的な場面があります。これは単なるファンタジーではありません。自分の原稿を暖炉に投げ入れたブルガーコフ自身の、自分への祈りです。

実際、物理的に失われたはずの原稿は、死後26年を経てエレーナの努力により世界文学の名作として復活しました。「原稿は燃えない」は、作者が自分の人生を賭けた呪文であり、作品はその呪文を体現する形で歴史に残ることになったのです。

今回の公演で、翻訳の小田島創志さんが「ケンプ版は、小説の順序を入れ替えながら、演劇の醍醐味を感じる構成になっている」と語る背景には、この原稿にまつわる重層的な「失われては戻ってくる」モチーフが戯曲の骨格に埋め込まれていることがあります。


エドワード・ケンプの翻案戦略——なぜ「小説家」を「劇作家」に変えたのか

今回上演されるのは原作小説の忠実な舞台化ではなく、英国の劇作家エドワード・ケンプが2004年に書き下ろした戯曲版です。チチェスター・フェスティバル劇場でスティーヴン・ピムロット演出により初演され、イギリスの演劇批評家マイケル・ビリントン(『ガーディアン』)が「アバンギャルドの旗手」と評した話題作でした。

ケンプという劇作家

エドワード・ケンプは英国ナショナル・シアターや王立演劇学校(RADA)で活躍し、特に大作小説の舞台翻案を得意としてきた作家です。『ナトーリャの夢』(レッシング)、『5/11』(火薬陰謀事件400年記念作)など、歴史と文学を舞台言語に翻訳する仕事を続けてきました。

翻案の最大のポイント——主人公の職業変更

ケンプ版の最大の特徴は、原作で「小説家」として描かれている主人公「巨匠」を、**「劇作家」**に書き換えた点です。これは単なる職業の付け替えではなく、作品の構造に深く関わる判断です。

原作では、巨匠は「ポンティオ・ピラトの小説」を書き、ヴォランドの助けでその草稿が奇跡的に残ります。ケンプは、この「作中作」をそのまま舞台で可視化しました。巨匠が劇作家であるならば、彼の書いた戯曲の場面——つまりローマ総督ピラトとイエス(ヨシュア)の対話——を舞台上で演じて見せることができます。

マイケル・ビリントンは『ガーディアン』で、この翻案を「実務的にも理にかなっている」と評価しました。観客は、巨匠の作品の中身をテキストで想像するのではなく、劇中劇として直接体験することになります。悪魔が主宰するモスクワの場面、巨匠とマルガリータの愛の場面、そしてピラトとヨシュアの古代エルサレムの場面——この三層構造が、同じ舞台上で入れ子になりながら進んでいきます。

「演劇の醍醐味」の設計

小田島創志さんが会見で「演劇でやることの意味を感じる構成」と語ったのは、まさにこの三層構造の設計を指しています。ブルガーコフは小説という媒体で時空の重層化を試みましたが、ケンプはそれを舞台という「同一空間で複数の時代が共存する」媒体に移し替えました。これは翻案というより、媒体変換そのものに作品の主題を重ねる試みです。

さらに、劇作家としての巨匠が検閲に遭い、原稿を焼かれ、精神病院へ送られるという筋立ては、ブルガーコフ自身の人生のメタファーをより明確にします。松島庄汰さんが若き作家イワン役について「ブルガーコフの人生が半分くらい自伝のように滲み出ている」と語っていたのも、ケンプの翻案によって作者と主人公の距離が一段と縮まった結果と言えます。


小田島創志という翻訳者——父から子へ、戯曲翻訳の系譜

本公演の翻訳を担当する小田島創志さんは、1991年生まれの戯曲翻訳家・演劇研究者です。お茶の水女子大学、東京芸術大学などで非常勤講師を務め、専門はハロルド・ピンターやトム・ストッパードを中心とした現代イギリス演劇。すでに新国立劇場では、ラジヴ・ジョセフ『タージマハルの衛兵』(2019)、アニー・ベイカー『アンチポデス』(2022)などを翻訳しています。

父・小田島雄志のシェイクスピア全訳

小田島創志さんの父は、2026年6月に逝去された英文学者・小田島雄志(1930-2026)さんです。雄志さんは、1973年から1980年にかけて、ひとりでシェイクスピア全37戯曲を翻訳し終えた、戦後日本の戯曲翻訳史における最重要人物のひとりでした。白水社の『シェイクスピア全集』として知られるこの個人全訳は、口語的で演じやすい日本語によって、蜷川幸雄、出口典雄、鵜山仁ら多くの演出家に採用され、現代日本の商業的なシェイクスピア上演の基盤を作りました。

雄志さんは**「小田島雄志・翻訳戯曲賞」**も創設し、戯曲翻訳という職能そのものの地位向上に尽力しています。翻訳を単なる言語変換ではなく、「俳優が声に出した瞬間に立ち上がる文体」として鍛え上げる姿勢は、日本の翻訳劇文化の背骨になっています。

「父を継ぐ」とは何か

創志さんは父とは別のレパートリー——ピンター、ストッパード、サイモン・スティーヴンス、アニー・ベイカー、ラジヴ・ジョセフなど、20世紀後半から現代の作家群——を主戦場にしてきました。父が19世紀以前の古典(シェイクスピア)を日本語に根付かせたのに対し、創志さんは現代イギリス〜アイルランド劇の最前線を日本の舞台に接続する仕事を担っています。

今回の『巨匠とマルガリータ』は、1920〜40年代のソ連の長編小説を、2004年の英国劇作家が翻案した戯曲を、2026年の日本語に移す仕事です。すでに三重のフィルターがかかったテキストであり、翻訳者には「原作小説の雰囲気」「ケンプ版の演劇的構成」「現代日本の観客の耳」の三つを同時に意識する精緻な作業が求められます。

創志さんが「翻訳するのは難しいが、訳していてワクワクする」と語るのは、まさにこの三重構造の面白さに触れた翻訳家の実感なのでしょう。日本語版シェイクスピア全集を父が成し遂げたように、創志さんは現代翻訳劇の文体を作っていく世代として、新国立劇場の中心的な翻訳者のひとりに位置づけられつつあります。


上村聡史はなぜ「最初の一本」にこの作品を選んだのか

ここが本公演の政治的・文化的な焦点です。

「物語の更新」というマニフェスト

上村聡史新芸術監督は、2026年2月の2026/2027シーズン・ラインアップ説明会で、「時代の変化と共に演劇の進化、つまり物語の更新(アップデート)をしていく」と宣言しました。これはシーズンプログラムの単なる方針ではなく、公共劇場の役割の再定義を含意しています。

ラインアップは以下の7本です。

  1. 『巨匠とマルガリータ』(開幕作)
  2. 『ミノタウロスの皿』(藤子・F・不二雄原作/スズキ拓朗)
  3. 『ナハトラント〜ずっと夜の国〜』
  4. 『見えざる手』
  5. 『Ruined 奪われて』
  6. 『抱擁』
  7. 『エンジェルス・イン・アメリカ』(グリーン・リバイバル・ラボ第1弾)

このラインアップには、排外主義・ポピュリズム・金融暴力・紛争下の女性の生・終末期ケア・HIV危機など、「分断が人間の生活にどう侵入するか」という共通テーマが流れています。

検閲と芸術の自由をオープニングに置く意味

その先頭に『巨匠とマルガリータ』を置くという選択は、極めて明確なメッセージを含みます。この作品は、芸術家が国家に検閲され、作品を焼かれ、精神を病み、それでもなお「原稿は燃えない」と言い切る物語です。

近年、日本国内でも、公的助成の採択基準、劇場での上演内容への政治的介入、SNSでの作品攻撃、「表現の不自由展」をめぐる混乱など、芸術の自由をめぐる論点が繰り返し浮上してきました。グローバルには、ロシアによるウクライナ侵攻後の文化統制、米国でのトリガーウォーニング論争、英国での文化助成削減など、芸術と権力の関係はまさに今、再び問い直されている最中です。

上村監督が開幕作にこの作品を選んだのは、公共劇場が「無難な祝祭」で開幕するのではなく、「権力と芸術の緊張をど真ん中で引き受ける」宣言を舞台で行うためと見るのが自然です。

篠井英介の「悪魔」が持つ批評性

悪魔ヴォランドを演じる篠井英介さんの会見での発言——「やる方も見る方も手強い作品」「素晴らしく素敵で豊かな想像力があれば、大変に面白いものになる」——は、観客側にも能動的な読解が求められることを示唆します。この作品のヴォランドは、単なる邪悪な存在ではなく、腐敗した体制の仮面を剝ぎ、嘘つきを罰し、真実を暴く存在です。ブルガーコフは、スターリン体制下で言えなかった批判を、「悪魔が勝手に暴いた」という形式で小説に書き込みました。

篠井さんの女方で培われた身体性と、歌舞伎的な見得や観客の目線誘導の術は、このヴォランドの「体制を揺さぶる道化/裁定者」の二重性を描き出すのに適役と言えます。


日本の観客にとっての補助線——合わせて読みたい戯曲・作品

初めてこの作品に触れる方のために、関連する戯曲・作品をいくつか紹介します。

検閲と芸術家を扱った戯曲

  • ハヴェル『謁見』『オープニング・ナイト』:チェコの元大統領ヴァーツラフ・ハヴェルが共産政権下で書いた戯曲群。検閲下の作家の屈辱と抵抗を乾いた笑いで描きます。
  • ストッパード『ユートピアの岸へ』:19世紀ロシアの革命家ゲルツェンらを描く三部作。ロシア知識人の思想史を舞台化した大作。
  • ブレヒト『ガリレオの生涯』:真実を言うことを強いられた知識人の挫折と妥協を描く古典。

ロシア文学と演劇の交差点

  • チェーホフ『かもめ』『三人姉妹』:ロシア演劇の金字塔。『巨匠とマルガリータ』の背景にあるロシアの精神風土を知るための必修。
  • メイエルホリドの演出史:ブルガーコフと同時代、スターリンに処刑された前衛演出家。モスクワの演劇状況の暗い背景を理解するために。

「作中作」構造を持つ戯曲

  • ピランデッロ『作者を探す六人の登場人物』:虚構と現実の層が溶け合う20世紀演劇の起点。
  • ストッパード『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』:『ハムレット』の脇役視点から王道劇を書き換えるメタ構造。

日本の作家による関連作

  • 井上ひさし『組曲虐殺』:ソ連の弾圧ではなく日本の特高による小林多喜二殺害を描くが、「書くこと/黙らせられること」という問題意識は共通。
  • 別役実の不条理劇:言葉と権力の歪みを描く系譜として、ブルガーコフと響き合います。

戯曲図書館のサイトでは、翻訳劇や社会問題を扱った戯曲の検索が可能です。『巨匠とマルガリータ』の観劇前後に、これらの作品をテキストとして読み比べてみると、時代と国境を越えた「表現者の抵抗」の系譜が立体的に見えてきます。


まとめ——「原稿は燃えない」を2026年に上演する意味

『巨匠とマルガリータ』は、単に「ソ連時代の有名な小説」の舞台化ではありません。

  • ブルガーコフが死の直前まで書き続け、死後26年を経て世に出た命がけのテキスト
  • エドワード・ケンプが主人公を劇作家に書き換えて舞台言語に翻案した設計
  • 小田島創志という、父・雄志のシェイクスピア全訳の系譜を引き継ぎながら現代翻訳劇の文体を鍛えている翻訳者
  • 上村聡史新芸術監督が公共劇場の役割をめぐる思想表明として選んだオープニング作品

これらの層が折り重なった上に、2026年11月の中劇場の舞台が立ち上がります。公演を観る前に原作小説を読み通すのは大変ですが、少なくとも「なぜ主人公が劇作家に変えられているのか」「ピラトの場面がなぜ劇中劇として挿入されるのか」の二点を頭に入れておくと、ケンプ版の構造の面白さが初見で立ち上がりやすくなります。

そして観終わったあとで、ぜひ「原稿は燃えない」という台詞が、現代の日本と世界のどんな現場で響くのかを考えてみてください。この作品はソ連時代の過去形で語られるべきものではなく、今まさに書かれ、焼かれ、再び現れつつある原稿たちの話でもあるのです。


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Written by

戯曲図書館 編集部

演劇経験者が運営する戯曲検索サービス「戯曲図書館」の編集チームです。 脚本選びのノウハウ、演劇業界の最新情報、公演レポートなどを発信しています。

公開日: 2026-10-09

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