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歌舞伎『本朝廿四孝』「筍掘り」27年ぶり上演──近松半二が仕掛けた、名軍師誕生の謎と兄弟の孝

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#歌舞伎#本朝廿四孝#近松半二#古典#山本勘助
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27年ぶりの「筍掘り」、戦後わずか5回の希少演目

2026年10月1日、新国立劇場 中劇場で「国立劇場令和8年10月歌舞伎公演」が開幕しました。演目は近松半二らによる時代物の大作『本朝廿四孝』。その中でも、通称「筍掘り」と呼ばれる三段目「桔梗ヶ原の場」「勘助住家の場」「同裏手竹藪の場」「勘助物語の場」を中心とする一幕が、約27年ぶりに上演されます。

戦後、「筍掘り」が舞台にかかったのはわずか5回。令和の歌舞伎ファンにとっては「噂には聞くが観たことがない」という、まさに幻の演目です。横蔵 後ニ山本勘助を中村又五郎、慈悲蔵 実ハ直江山城之助を中村錦之助、母越路を中村魁春という、現在の時代物を支える重鎮三人が座組を固めました。文化庁芸術祭オープニングを飾る、節目の復活上演です。

本記事では、ニュースの背景にあるこの戯曲の構造・近松半二の作劇術・そして「なぜ筍掘りがめったに上演されないのか」という上演史の謎まで、戯曲の視点から掘り下げます。


『本朝廿四孝』とは──信玄 vs 謙信を描いた“ロマンチック時代物”

『本朝廿四孝』は、明和3年(1766年)1月、大坂・竹本座で初演された人形浄瑠璃です。作者は近松半二、三好松洛、竹本三郎兵衛の合作名義で、立作者はこのとき41歳の近松半二でした。

タイトルの「廿四孝」は、中国の二十四人の孝子説話集『二十四孝』からの借用です。郭巨が老母のために自らの子を埋めようとしたら黄金が出た、孟宗が真冬に筍を掘り当てて病の母に食べさせた——そうした孝行譚のモチーフを、日本の戦国時代の合戦絵巻にはめ込んだのが本作の骨格となっています。

劇の中心にあるのは、武田信玄と上杉謙信の確執です。将軍足利義晴が暗殺され、その犯人探しを命じられた両雄が、三年以内に下手人を見つけなければ各々の嫡子の首を差し出す——という大きな枠組みのなかで、信玄の嫡子・勝頼と謙信の娘・八重垣姫との悲恋、名軍師・山本勘助の出生の秘密、そして諏訪明神の白狐伝説までが絡み合います。

元ネタは近松門左衛門

実はこの作品、ゼロから生まれたオリジナルではありません。1721年8月に竹本座で初演された、**近松門左衛門作『信州川中島合戦』**を母体として大胆に書き替えたリメイクです。

門左衛門を敬愛していた半二は、父・穂積以貫が門左衛門から譲り受けたという硯を終生の宝としていたと伝えられています。「近松」姓も、竹田出雲門下でありながら自ら名乗ったものです。その半二が、45年前の師の作を素材に、より重層的で“謎解き的”な構造を持った大作に仕立て直した——これが『本朝廿四孝』だと言えます。

なぜ“ロマンチック時代物”なのか

近松半二は、歴史上の事件を素材にしながら、謎解き・取り違え・身分変転といった仕掛けを多層に組み込む作風で知られます。歌舞伎演目案内では、半二の作風を「ロマンチック時代物が得意な、シンメトリーの美学者」と評しています。

舞台を上手と下手にシンメトリーに使う華やかな手法(歌舞伎では両花道)、兄と弟・妻と妻・主と主のように対称的な人物配置、そしてそれが最後に大きなどんでん返しで一つに回収される——その手法が最も美しく結晶しているのが、まさに『本朝廿四孝』三段目「筍掘り」なのです。


「筍掘り」のあらすじ──兄と弟、横暴と孝行のドラマ

今回27年ぶりに上演される「筍掘り」の中身を、戯曲として読み解いてみます。

二組の対立から始まる「桔梗ヶ原の場」

幕が開くと、甲斐と越後の国境・桔梗ヶ原で、両家の家来が馬草刈り場の境目を巡って言い争っている場面になります。そこへ高坂弾正の妻・唐織と、越名弾正の妻・入江が現れて喧嘩を止めるものの、今度はこの女二人の方が言い争いを始める——という、半二らしい“入れ子構造”の喧嘩が最初に提示されます。

場面転換して、信州筑摩郡の慈悲蔵が登場します。孝行者の慈悲蔵は、郭巨の故事さながら、母への孝を立てるため、我が子を雪の中に捨てに行ったばかり。その子の小袖には「甲州の住人山本勘助」と記した札がついており、名軍師の血筋を狙う高坂弾正と越名弾正が、子を巡って奪い合いになる——。この序盤だけで、孝・忠・計略・両家の対立という、本作の全テーマが提示される仕掛けです。

「勘助住家の場」──母の偏愛と、兄弟の反転

舞台は慈悲蔵の家に移ります。慈悲蔵の母・越路は、「山本勘助」という名跡を預かっており、兄の横蔵か弟の慈悲蔵、どちらに継がせるかをまだ決めていません。母は、長らく他国に出ていた慈悲蔵を疎んじ、横暴で乱暴者の兄・横蔵の方をあからさまに甘やかします。

ここに「孝行な弟が冷遇され、横暴な兄が溺愛される」という、観客の情緒に強く訴える不公平な家族の構図が立ち上がります。母は慈悲蔵に、「孝行がしたければ、裏の竹林で筍を採ってこい」と言い放ちます。真冬に筍など、あるはずがない——。

「裏手竹藪の場」──雪の竹林に筍はあるか

雪の竹林で、慈悲蔵は必死に筍を探します。見つけられずに立ち尽くしていると、ふと数羽の白い鳩が集まっているのに気付きます。「兵器が地にある時は鳥が群れをなす」という兵学の教えを思い出し、もしや父・山本勘助の秘伝の巻物が埋まっているのでは——と地面を掘り始めます。

そこへ横蔵が現れ、兄弟は秘書の巻を巡って争奪戦に突入します。母・越路が割って入り、雪中から「筍(=秘伝の書)」を見つけ出した慈悲蔵をようやく褒めます。

「勘助物語の場」──隻眼で誓う、名跡相続の覚悟

ここからが本作最大の見せ場です。母は横蔵に、謙信の嫡男・景勝の身代わりとして切腹するよう迫ります。横蔵は逃げようとしますが、慈悲蔵の投げた手裏剣が足に突き刺さり倒れます。

「もうこれまで」と覚悟を決めた横蔵は、突然自らの右目を刀で抉り取ります。「これで容姿が変わり、身代わりにはなれぬ」と宣言し、「今日より父の苗字を継ぎ、山本勘助春義となる」と名乗りを上げる——。隻眼の名軍師・山本勘助の誕生の瞬間が、劇中で描かれる仕掛けです。

同時に、弟の慈悲蔵もまた、裃姿で改めて登場し、「直江山城守種継」としての本当の身分を明かします。横暴に見えた兄も、孝行に徹した弟も、実はそれぞれが別の主君に仕えるために正体を隠して生きてきた——という大逆転が、ここで一気に提示されます。

母は息子二人の「孝」を感じ入り、父の遺した軍法伝授の巻を手渡します。しかし横蔵(勘助)は「山本勘助の名を告げられれば十分」と、その巻物を弟・直江に譲ります。そして二人は、「いずれ戦場で武田方と上杉方に別れて戦を交える」ことを誓い合い、幕となります。


なぜ「筍掘り」はめったに上演されないのか──上演史の謎

これほどのドラマがありながら、「筍掘り」の上演は戦後わずか5回。歌舞伎座・南座などの大劇場の月替わり興行で見かける演目ではありません。

国立劇場(および今回の新国立劇場 中劇場での代替上演)が、「筍掘り」の数少ない復活上演の受け皿になってきた理由は、国立劇場が創設以来掲げてきた「古典の通し狂言復活」というミッションにあります。商業ベースでは組みにくい大型の時代物を、文化庁芸術祭の主催公演として長期間(今回は10月1日から20日まで、9日休演)かけてかける——この枠組みがなければ、「筍掘り」のような難物は現代の観客の前には現れにくいのです。

難物とされる理由は、戯曲の構造そのものにあります。

1. 役の二重性が極端に複雑

横蔵は「後ニ山本勘助」、慈悲蔵は「実ハ直江山城之助」。しかもその正体は、幕切れ近くでまとめて明かされます。観客は長時間、「乱暴者の兄」「孝行者の弟」の姿で見てきた二人が、終盤で武将としての裃に着替え、まったく別人の論理で動き始める——という大変転を一気に飲み込まなければなりません。

役者には、「素の兄弟」と「正体の武将」の二層を同時に演じ分ける技量が求められます。中村又五郎、中村錦之助、中村魁春という、丸本物の呼吸を知る世代の役者が揃って初めて成立する演目だと言えます。

2. 浄瑠璃の長大なテキストを歌舞伎で見せる難しさ

『本朝廿四孝』はそもそも人形浄瑠璃です。義太夫の長大な詞章を、歌舞伎の生身の役者が受けて動く——その呼吸の難しさは、丸本歌舞伎(人形浄瑠璃を原作とする歌舞伎)全般に共通する課題ですが、「筍掘り」は特に“語り”の比重が重い段です。右目を抉って勘助と名乗る件、兄弟が互いの正体を明かし合う件——いずれも、義太夫の語りと所作の一体感が崩れると、観客は置いていかれます。

3. 現代感覚と衝突する倫理

郭巨の故事を踏まえて我が子を雪中に捨てる、母への孝のために筍を探しに行く、兄が自ら目を抉る——これらは、江戸時代の「孝」の倫理観に根差した表現です。現代の観客がストレートに感情移入するのは、正直なところ難しい。だからこそ、浄瑠璃本来の構造美と、役者の語りの力で「物語の論理」として説得する必要があります。

今回、文化庁芸術祭オープニングという大きな場でこの演目を復活させることには、「浄瑠璃本来の構造美を、現代の観客にもう一度味わってもらう」という、国立劇場の原点回帰のような意味があるのではないでしょうか。


近松半二の仕事──人形浄瑠璃最後の黄金期を支えた立作者

少し視点を広げて、作者・近松半二という劇作家その人に目を向けてみます。

半二は享保10年(1725年)、大坂で儒学者・穂積以貫の二男として生まれました。父・以貫は、近松門左衛門の芸術論「虚実皮膜論」を『難波土産』として書き残した人物として知られます。父を通じて浄瑠璃の世界と早くから接し、二代目竹田出雲に入門しました。

宝暦元年(1751年)、27歳で『役行者大峰桜』の序を書いてデビュー。宝暦13年(1763年)、39歳で立作者となります。半二が立作者を務めた1760〜80年代は、人形浄瑠璃の人気がすでに歌舞伎に押されつつあった時期でした。竹本座も豊竹座も、経営が苦しくなっていた。

その中で、半二は数々の名作を書き続けます。

  • 『奥州安達原』(1762年)
  • 『本朝廿四孝』(1766年)
  • 『近江源氏先陣館』(1769年)
  • 『妹背山婦女庭訓』(1771年)
  • 『新版歌祭文』(1780年)
  • 『伊賀越道中双六』(1783年、遺作)

とくに『妹背山婦女庭訓』が上演された明和8年(1771年)には竹本座が大入りを記録し、長年の借金を返済できたと伝えられます。半二は、斜陽の人形浄瑠璃を支えた最後の立作者だと言ってよいでしょう。

半二の作品が今も歌舞伎で頻繁に上演されるのは、人形浄瑠璃としての完成度と同時に、「歌舞伎的手法が色濃い」と評される舞台効果の強さがあるからです。上手下手を使い分けるシンメトリーの美学、どんでん返しの構造、派手な見得や立ち回りの要素——これらは歌舞伎化しても失われない、むしろ生身の役者が演じたときにさらに輝く仕掛けです。


戯曲として「読む」『本朝廿四孝』──戯曲図書館ならではの楽しみ方

ここからは、戯曲図書館らしい視点でこの作品を考えてみます。

『本朝廿四孝』は、人形浄瑠璃の床本(ゆかほん。義太夫節の語りの台本)として、国立国会図書館やNDLサーチで検索すると、国立劇場歌舞伎公演の上演台本も公開されています。『本朝廿四孝:筍掘りと十種香』(近松半二ほか作、山田庄一監修、国立劇場歌舞伎公演上演台本)といった形で、戯曲テキストにアクセスする道は開かれています。

「筍掘り」の魅力を、戯曲として読む側から整理してみると、次のようになります。

1. 対話より「場の構造」で語る劇

近代劇の視点で読むと、「筍掘り」の登場人物は、ほとんど自分の内面を直接的に語りません。横蔵の横暴さも、慈悲蔵の孝行も、母の偏愛も、台詞ではなく「筍を取りに行かせる」「鳩が集まる」「手裏剣が刺さる」といった場の出来事を通して表現されます。

これは、現代戯曲を書く人にとっても参考になる構造です。心理をセリフで説明せず、物理的な動作と状況の積み重ねで観客の情緒を動かす——人形浄瑠璃の技法は、Show, don't tellの究極形のひとつだと言えます。

2. 「身代わり」というモチーフの徹底

「筍掘り」では、ほとんどすべての人物が“誰かの身代わり”として機能します。慈悲蔵の子・峰松は横蔵の子の身代わりに雪中に捨てられ、横蔵は長尾景勝の身代わりとして切腹を迫られ、慈悲蔵は実は直江山城守の仮の姿、そして横蔵は実は山本勘助の仮の姿。

「本当の自分」と「仮の自分」が入れ子状に重なる構造は、現代でも通用する劇作のテクニックです。チェーホフ以降の近代劇が内面に沈み込む方向で発展したとすれば、半二の浄瑠璃は、役の多層性を外側から積み上げる方向で深みを獲得していると言えます。

3. 読んでから観る楽しみ

「筍掘り」のような難解で複雑な構造の演目は、床本や上演台本を事前にざっと読んでから観劇すると、理解の解像度が大きく変わります。横蔵が目を抉るシーンの衝撃も、「ここで直江の正体が明かされる」と知って観るのと、まったく知らずに観るのとでは、味わいが異なります。

戯曲図書館としては、人形浄瑠璃や丸本歌舞伎の演目こそ、「戯曲を先に読む」という鑑賞スタイルが最も活きるジャンルだと思っています。


関連して読み・観ることができる作品

「筍掘り」を観る前後に、こう広げると楽しさが増します。

近松半二の他の代表作

  • 『妹背山婦女庭訓』……三段目「山の段」の両花道、四段目「道行恋苧環」「御殿」の杉酒屋娘お三輪など、半二のシンメトリー美学と悲恋の名場面が凝縮されています。「筍掘り」の兄弟対立構造が気に入ったなら、「妹背山」の対称構造も必ず響くはずです。
  • 『伊賀越道中双六』……半二の遺作。八段目「岡崎の段」まで書き進めて没したと伝えられ、仇討ちと親子の情を骨太に描いた傑作です。
  • 『奥州安達原』……三段目「袖萩祭文」が有名。『本朝廿四孝』の4年前に書かれた、半二立作者時代初期の時代物。親子・敵味方の重層構造は「筍掘り」の母胎とも言えます。

『本朝廿四孝』の他の段

  • 「十種香・奥庭狐火の段」……四段目に属する、八重垣姫の恋物語の段。歌舞伎では「筍掘り」より上演頻度が高く、八重垣姫が諏訪法性の兜を手に取ると水面に狐の姿が映るという超自然的な見せ場で知られます。「筍掘り」とセットで読むと、本作全体の構造が見えてきます。
  • 「道三最期の段」……終幕。義晴を暗殺した真犯人・斎藤道三が勘助たちに追い詰められる場面。「筍掘り」で埋めた伏線が一気に回収されます。

山本勘助を描いた他ジャンルの作品

  • 井上靖『風林火山』……山本勘助を主人公にした小説。1969年には大河ドラマ化、2007年にも『風林火山』として大河化されました。「筍掘り」で描かれる勘助の“誕生”と、小説で描かれる勘助の“活躍”を並べて味わうと、ひとりの軍師像の多面性が立ち上がります。
  • 近松門左衛門『信州川中島合戦』……『本朝廿四孝』の母体となった浄瑠璃。現在上演される機会は少ないですが、床本は刊行されており、半二が“何を書き換えたか”を比較する楽しみがあります。

まとめ──27年に一度の機会を、戯曲の目で観る

国立劇場令和8年10月歌舞伎公演『本朝廿四孝』「筍掘り」は、2026年10月1日から20日まで、新国立劇場 中劇場で上演されます(10月9日休演)。花道正面席から3等席まで等級別の料金設定があり、学生料金・幕見席も用意されています。

27年ぶりの復活は、単なる懐古興行ではありません。近松半二という「人形浄瑠璃最後の黄金期を支えた立作者」の、最も野心的な時代物の中核が、2026年の観客の前に再び姿を現すのです。

  • 兄と弟、横暴と孝行、武田と上杉——あらゆるものを対称に配置した半二の美学
  • 「我が子を雪中に捨てる」「母のために冬の筍を探す」という、江戸時代の「孝」の倫理
  • 横蔵が自ら目を抉って勘助と名乗る、戦慄の正体明かし
  • 浄瑠璃の長大な詞章を、現代の役者がどう受けるか

このすべてを、中村又五郎・中村錦之助・中村魁春という時代物の最前線で生きてきた役者たちが提示します。チケットが取れるなら、ぜひ生の舞台で。難しそうだと感じるなら、上演台本や床本を先に読んでから観劇に臨んでみてほしい演目です。

戯曲図書館としては、「読んで、観て、また読む」という循環を一番体感できる演目のひとつだと考えています。27年に一度の機会を、戯曲の目で味わってみませんか。


参考情報源

  • 独立行政法人 日本芸術文化振興会「令和8年10月歌舞伎公演」公式情報
  • ステージナタリー「山本勘助誕生の秘密描く『本朝廿四孝ー筍掘りー』27年ぶりの上演がスタート」
  • 東京新聞「又五郎、錦之助、魁春で 27年ぶり『筍掘り』 国立劇場10月歌舞伎公演」
  • 歌舞伎演目案内「近松半二」プロフィール
  • 立命館大学ArtWiki「本朝二十四孝」梗概
  • コトバンク「本朝廿四孝」項目
  • 国立国会図書館NDLサーチ『本朝廿四孝:筍掘りと十種香』(国立劇場歌舞伎公演上演台本)

Written by

戯曲図書館 編集部

演劇経験者が運営する戯曲検索サービス「戯曲図書館」の編集チームです。 脚本選びのノウハウ、演劇業界の最新情報、公演レポートなどを発信しています。

公開日: 2026-10-05

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