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なぜ今『メアリ・シェリー』なのか|日本初演ミュージカルから読む『フランケンシュタイン』誕生の舞台性

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#メアリ・シェリー#フランケンシュタイン#ミュージカル#韓国ミュージカル#演劇コラム
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なぜ今『メアリ・シェリー』なのか|日本初演ミュージカルから読む『フランケンシュタイン』誕生の舞台性

2027年4月から5月にかけて、ミュージカル『メアリ・シェリー』が東京・愛知・大阪・福岡で日本初演されます。主演は柚香光さん、音楽はブランドン・リー、演出は板垣恭一さんです。ニュースとして見ると「新作ミュージカルの上演決定」ですが、この題材は単なる文学者の伝記ものではありません。なぜ今、メアリ・シェリーを舞台に立ち上げるのかを考えると、演劇そのものが持つ性質が見えてきます。

『フランケンシュタイン』は小説として有名ですが、同時にきわめて舞台的な作品でもあります。創作の現場、共同体の圧力、科学と倫理の衝突、そして「生み出してしまったもの」と向き合う責任。これらはすべて、俳優の身体と言葉がある場所でこそ強く立ち上がる主題です。今回の日本初演が面白いのは、怪物そのものではなく、その怪物を書いた作家の側へ視点を反転させている点にあります。

この記事では、今回の上演情報を入口にしながら、メアリ・シェリーという人物、1816年の創作環境、韓国発ミュージカルとしての系譜、そして関連して観たい・読みたい舞台作品までをまとめて整理します。ニュースの紹介だけでは終わらず、「なぜこの題材がいま演劇になるのか」を考えるための一本にしたいです。

日本初演版が示していること

まず押さえておきたいのは、今回の日本版が小規模な輸入作品ではなく、かなり明確にスケールを組み替えた上演として準備されていることです。SPICE掲載の発表によると、韓国版は2021年初演、2024年再演の実績を持つ作品で、日本版では板垣恭一さんが韓国版脚本を再構築し、オリジナル版にない人物を加え、さらにブランドン・リーさんが新曲4曲を書き下ろすとされています。つまり今回は「人気韓国ミュージカルの日本語上演」というより、日本の観客に向けて再設計された新しい上演として受け取ったほうがよさそうです。

ここが重要です。メアリ・シェリーの物語は、史実の並べ替えだけでは舞台になりにくい題材でもあります。観客が見たいのは年譜ではなく、ひとりの若い女性がどのような抑圧、喪失、知的興奮のなかで怪物を思いついたのか、その瞬間の圧力です。日本版が人物を増やし、アンサンブルも厚くするのは、メアリを取り巻く社会や視線を「空気」として舞台上に可視化するためではないかと想像できます。少人数劇の親密さよりも、社会の重みを伴ったグランドミュージカルとして立ち上げる判断には必然性があります。

『フランケンシュタイン』はどこから生まれたのか

メアリ・シェリーが『フランケンシュタイン』の着想を得た経緯は、演劇史の逸話のように劇的です。1816年、メアリはパーシー・B・シェリー、クレア・クレアモントとともにジュネーヴ近郊に滞在し、そこでロード・バイロンとその主治医ジョン・ポリドリと交流しました。Shelley-Godwin Archiveによれば、その冷たく雨の多い夏、彼らは怪談を読み合い、バイロンが「それぞれ怪談を書こう」と提案したことが出発点になりました。後に『フランケンシュタイン』となる物語は、まさにその室内の共同創作空間から始まったわけです。

ここで見逃したくないのは、この誕生の場が最初から「舞台的」だったことです。数人の若者が閉じた空間に集まり、互いの知性や感情を刺激し合い、見えない未来の作品を言葉だけで競う。これはほとんど会話劇の設定そのものです。怪物のイメージは単独の天才が孤独に啓示を受けた結果というより、対話、嫉妬、恋愛、思想、季節、天候まで含んだ複数要因の圧縮から生まれています。ミュージカル『メアリ・シェリー』がもし面白くなるとすれば、この「創作はひとりで完結しない」という緊張をどれだけ身体化できるかにかかっているはずです。

オックスフォード大学の解説では、1816年から1817年の草稿が現存し、1818年の初版は匿名で出版されたと説明されています。匿名出版という事実もまた、メアリを舞台化するうえで非常に大きいです。いま私たちは「メアリ・シェリー」という作家名を知っていますが、作品誕生の時点では、その名前は公然と前に出ていたわけではありませんでした。書いたのは彼女であるのに、世に出るときの署名は消えている。このズレは、作者と作品、創造者と所有者の関係をめぐる演劇的な問いを生みます。

メアリ本人を主役にすると、怪物の意味が変わる

怪物を描く作品は多いですが、怪物を書いた女性を主役に置くと、同じ題材でも焦点が大きく変わります。K-Theater License の作品紹介では、このミュージカルは19世紀イギリスの女性差別の強い社会において、メアリが抑圧のなかで『フランケンシュタイン』を完成させる過程を軸にしていると整理されています。ここで怪物は、単なる恐怖の象徴ではなく、「女性が知を持ち、書き、創造すること」への社会の不安そのものとして読み替えられます。

この視点は、いま上演する意味とも直結します。『フランケンシュタイン』はしばしば科学の暴走や生命倫理の寓話として読まれますが、メアリの人生から逆照射すると、そこには別の層が見えてきます。自分が生み出したものが、作者の手を離れ、別の顔で世界に流通していく怖さです。とくに演劇やミュージカルでは、作品は上演のたびに他者の身体を借りて増殖します。作者の意図と、社会が受け取る像は一致しません。だからこそ、メアリ自身を主役に置く舞台は、「怪物とは何か」以上に「創作されたものは誰のものになるのか」という問いを客席へ返してきます。

韓国発ミュージカルとして見る面白さ

今回のニュースを深掘りするうえで外せないのが、この作品が韓国オリジナルミュージカルとして育ってきたことです。2021年初演、2024年再演という履歴は、単発企画ではなく、作品として再検証されるだけの支持を得てきたことを示しています。しかも作曲はブランドン・リーさんです。日本のミュージカル観客にとってブランドン・リーさんの名前は、やはり『フランケンシュタイン』と結びついて響きます。同じ作曲家が、怪物を描く作品と、その作者を描く作品の双方に関わっている。この接続だけでもかなり興味深いです。

つまり『メアリ・シェリー』は、文学史の偉人伝というより、韓国創作ミュージカルが得意としてきた「強い感情と思想を、人物関係の圧力で駆動させるドラマ」の延長線上にあると見たほうが理解しやすいです。しかも今回は、その系譜が日本の商業演劇のサイズ感へと載せ替えられる。ここには、近年続いてきた韓国ミュージカル受容の次の段階があります。単なるライセンス上演ではなく、日本側の演出家が構造ごと手を入れて新しい読みを提案する段階です。

この意味で、今回の日本初演は作品の人気確認ではなく、「韓国発オリジナルを日本の舞台文法でどう再翻訳するか」という実験でもあります。文学ファンだけでなく、近年の東アジア演劇交流を追っている人にとっても見逃しにくい上演です。

舞台化の歴史から見ると、今回の題材選びはとても正統派

『フランケンシュタイン』は、小説として有名になるより早く、舞台によって広く拡散された面があります。オックスフォード大学は1820年代の舞台化が作品の知名度を押し上げたと説明しており、British Library には Richard Brinsley Peake による舞台版『Presumption; or, the Fate of Frankenstein』関連資料も紹介されています。つまりこの物語は、もともと「読む小説」であると同時に「見せる物語」でもありました。

ここから逆算すると、いまメアリ本人を舞台に戻す発想はかなり正統派です。怪物が何度も舞台に現れてきたなら、その怪物を考えた頭脳と、その頭脳を取り巻いた環境もまた舞台化されて当然だからです。しかも現代の観客は、単に怪物の造形を見るより、「誰が、どんな時代に、どんな圧力のなかで、その物語を書かざるをえなかったのか」に強く関心を持ちます。創作の裏側や作者の条件に視線が向く時代だからこそ、『メアリ・シェリー』は古典のスピンオフではなく、古典の核心へ戻る試みになりえます。

関連して観たい・読みたい作品

この話題に関心がある方には、関連作品をいくつか並べて追うのがおすすめです。

まず王道は、ブランドン・リー音楽のミュージカル『フランケンシュタイン』です。怪物の側から大きな感情を描く作品として知られていますが、その後に『メアリ・シェリー』を見ると、「怪物のドラマ」と「怪物を生んだ作家のドラマ」が鏡合わせになっていることが見えてきます。同じ作曲家がどのように題材を別方向へ膨らませるのかも聴きどころになるはずです。

次に、メアリ誕生の現場にいたジョン・ポリドリの『吸血鬼』系譜も外せません。1816年の怪談競作からは、『フランケンシュタイン』だけでなく近代吸血鬼文学の重要な流れも生まれました。つまりあの夏は、ホラーやゴシックの二大系譜が枝分かれした場でもあります。舞台好きの方なら、怪物の起源を一作品で完結させず、周辺の文学・演劇史ごと追うと面白さが一段上がります。

さらにストレートプレイでは、原作小説を直接舞台化した『Frankenstein』各版、なかでも作者と被造物の倫理を前面に出すタイプの脚本を見比べると、今回の『メアリ・シェリー』がどこをあえて外しているのかがわかります。怪物の見世物性を競うのではなく、作者の創造行為に照準を絞ること自体が、今回の作品の個性だからです。

まとめ

2027年日本初演のミュージカル『メアリ・シェリー』は、新作上演情報として消費するには惜しい題材です。そこには、19世紀の女性作家が置かれた条件、1816年の共同創作空間、匿名出版のねじれ、そして『フランケンシュタイン』がもともと舞台と深く結びついてきた歴史が重なっています。

戯曲図書館の読者にとって大事なのは、これを「有名小説の作者もの」としてだけ受け取らないことだと思います。むしろこれは、創作とは誰の仕事で、作品はどのように他者の手に渡り、怪物はどこから生まれるのかを問う演劇です。作者の人生を描くことで、逆に作品そのものの不気味さが増す。その構造はとても演劇的です。

怪物を見に行くつもりで客席に座った人ほど、最後には「創るとは何か」という問いを持ち帰るかもしれません。そうだとすれば、この『メアリ・シェリー』は、古典の周辺をなぞる作品ではなく、古典の心臓部へ入り直す作品になるはずです。


参考文献

Written by

戯曲図書館 編集部

演劇経験者が運営する戯曲検索サービス「戯曲図書館」の編集チームです。 脚本選びのノウハウ、演劇業界の最新情報、公演レポートなどを発信しています。

公開日: 2026-08-22

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