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KYOTO EXPERIMENT 2026はなぜ『作品の見本市』ではなく『考える場所』であろうとするのか

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#KYOTO EXPERIMENT#京都国際舞台芸術祭#演劇祭#現代演劇#関西演劇
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ラインナップ発表の奥にあるもの

2026年7月28日、KYOTO EXPERIMENT 2026の全ラインナップが発表されました。会期は2026年10月3日から25日まで。Tiago Rodrigues、Alice Ripoll / Cia. REC、南野詩恵 / お寿司、山下残&Nhã Thuyên with Project Đẩy Sàn、kondaba など、国内外の作り手が並ぶ顔ぶれだけを見ても、今年のフェスティバルが十分に魅力的であることは伝わります。

ただし、今回の発表で本当に注目したいのは、単に「誰が来るか」ではありません。KYOTO EXPERIMENT 2026は、演目の充実以上に、舞台芸術祭がいま何のために存在するのかを正面から問い直しているからです。

ディレクター・メッセージでは、今年のキーフレーズが「Carrying a pebble in my pocket」と示されました。名もない小石をポケットに入れて持ち歩く、という比喩です。記憶、物語、抵抗、時間の堆積。そうしたすぐには商品にならないものを、それでも身体で運び、他者へ手渡そうとすること。その行為自体を、今年のKYOTO EXPERIMENTはフェスティバルの核に据えています。

ここで重要なのは、この言葉が単なる詩的な装飾ではないことです。むしろ現在の文化政策や市場環境への、かなり明確な応答として読むべきでしょう。ディレクターたちは、近年の日本で文化が「海外に売り出すべきコンテンツ」として扱われる傾向を念頭に置きながら、フェスティバルがその流れに回収されすぎることへの違和感を率直に語っています。つまり今年のKYOTO EXPERIMENTは、国際舞台芸術祭でありながら、作品を効率よく流通させる見本市になることを目指していないのです。


2010年から続く実験がいま直面している現実

KYOTO EXPERIMENTは2010年に始まった国際舞台芸術祭です。ミッションでは、演劇、ダンス、音楽に加えて、美術やデザインまで横断する実験的な表現を紹介しながら、社会と先端的な芸術文化の接点を育てる場であることがうたわれています。日本のフェスティバルの中でも、海外招聘の華やかさだけではなく、京都という都市に根差した思考の場をどう作るかに長くこだわってきた点に、この催しの独自性があります。

その特徴は、近年よりいっそう鮮明になってきました。2025年からは川崎陽子さんと塚原悠也さんの共同芸術監督体制に移行し、フェスティバルを「失敗や生成の過程、簡単には解決しない議論までも含むプラットフォーム」と捉える姿勢が前面に出ています。ここで言うプラットフォームとは、単に会場貸しの意味ではありません。完成品だけを並べるのではなく、創作の途中経過、地域との摩擦、言葉になりきらない不安定さまで抱え込む器、という意味です。

この姿勢は美しい理想論だけで成り立っているわけではありません。実際、ディレクター・メッセージによれば、京都市の財政悪化を受けて、2022年にはフェスティバルに対する京都市の拠出が2019年比で半分超削減されました。2026年の準備でも、その影響は相当に重かったようです。助成や補助金の仕組みそのものが変化し、従来の前提では立ち行かなくなっている。そうした厳しい条件の中でなお、実験的で大胆な作品を上演する意義をどう守るのか。それが今年のラインナップ全体に通底する緊張感になっています。

演劇祭はしばしば「どれだけ有名アーティストを呼べたか」で語られがちです。しかし実際には、どのような財政条件のもとで、どんな時間配分で、どんな観客関係を作ろうとしているのかによって、フェスティバルの性格は大きく変わります。KYOTO EXPERIMENT 2026を読み解くには、まずこの制度的な足場の揺らぎを見ておく必要があります。


「3つのプログラム」が示す、興行とは別の設計思想

KYOTO EXPERIMENTには「Shows」「Kansai Studies」「Super Knowledge for the Future(SKF)」という3本柱があります。この構成こそが、今年のフェスティバルを単なる上演集ではなくしている最大の理由です。

Showsは、いま体験されるべきだと考えられる国内外の実験的パフォーミングアーツを上演するプログラムです。けれどもKYOTO EXPERIMENTは、ここだけで完結しません。Kansai Studiesでは、フェスティバルが立っている関西という土地そのものを、アーティスト主導のリサーチ対象にしています。さらにSKFでは、芸術の外側にある社会問題や知の領域と舞台芸術を接続するトークやワークショップを展開します。

つまりこのフェスティバルは、「上演を見る」だけで終わる設計になっていないのです。土地を調べる、言葉を交わす、創作の前提を疑う、作品と社会の間を往復する。そうした時間がプログラムとして最初から組み込まれています。The Theatre Timesが昨年のKYOTO EXPERIMENTを論じた記事でも、このフェスティバルは短期集中で外部客を大量に集める市場型イベントより、地元の観客や作り手との関係を深める方向へ舵を切っていると指摘されていました。会期を3週間にわたり分散させる運営も、その思想と無関係ではないでしょう。

ここから見えてくるのは、KYOTO EXPERIMENTが「効率」より「滞在」を重視していることです。演劇祭を一気に消費するのではなく、京都という街に少しずつ沈殿させていく。その方法は、観光資源としてのフェスティバル運営とはかなり異なります。だからこそ、今年のラインナップは派手さよりも、複数の時間層を抱え込む構成として読むほうがしっくりきます。


今年の演目が共有している「記憶の持ち運び」

今年のキーフレーズ「ポケットの中の小石」は、各演目にもかなり具体的に反映されています。

たとえば、Tiago Rodriguesが上演する『By Heart』は、その象徴的な一本です。この作品では客席から10人が舞台に招かれ、詩や言葉をともに記憶していく行為がパフォーマンスの中心になります。Rodriguesは演劇を「人が集まり、時間を共有し、思考を突き合わせる場」と考えてきた作り手です。記憶することが、忘却への抵抗であり、他者への継承でもあるという発想は、今年のフェスティバルの方向性と強く重なっています。

南野詩恵 / お寿司の『おすしえジプト』も、別の角度から同じ問いに向かっています。第15回せんがわ劇場演劇コンクール劇作家賞を受賞した初作に続く新章では、家族の生と死、信仰、あの世の想像力が扱われます。死後の審判や蘇生といった主題は一見すると突飛ですが、実際には「死者をどう語り継ぐか」「宗教を強く持たない現代日本人が、それでも何を信じようとするのか」という切実な問題に触れています。記憶や継承が、抽象的なテーマではなく、家族の身体感覚に根ざした問いとして立ち上がる点が興味深いところです。

山下残&Nhã Thuyên with Project Đẩy Sànによる『giọt-giọt|しずくたち』では、書物、詩、ダンス、対話が交差します。国際交流基金の説明によれば、この作品は対話や詩、舞踊譜を記録した「本」から舞台を立ち上げる試みであり、表現や言論の自由への希求とも結びついています。ページをめくる行為そのものがリズムを生み、言葉と身体が再配置されていく。ここでも、記録媒体と身体実践の往復が主題になっています。

そしてkondabaの新作は、淀川水系と中書島エリアの歴史、人や文化の往来の記憶を、リサーチから上演へ変換しようとしています。水路の流れ、流通、土地の変化、そこで暮らした人の記憶。これらはどれも、放っておけば消えてしまう小さな痕跡です。Kansai Studiesという枠でその過程まで可視化することは、作品完成後の拍手だけではすくい取れない「土地の思考」を、フェスティバル自身の資産に変えていく作業だと言えます。

こうして見ると、今年の演目群はバラバラに見えて、実はかなりはっきりした共通点を持っています。それは、記憶をどう身体化し、他者へ受け渡すかという問いです。戦争や検閲のような大きな歴史だけでなく、家族、地域、言語、移動、信仰といった日常の層に埋まった記憶まで含めて扱う。その射程の広さが、2026年のKYOTO EXPERIMENTを特徴づけています。


戯曲図書館の読者がここから何を受け取れるか

このフェスティバルが面白いのは、上演芸術でありながら、テキストとの関係を非常に深く持っているところです。戯曲図書館の読者の立場から見るなら、今年のラインナップは「読むこと」と「観ること」の往復を考える格好の入口になります。

まずTiago Rodriguesに触れるなら、『By Heart』だけでなく、『Catarina and the Beauty of Killing Fascists』や『Dans la mesure de l’impossible』のように、個人の物語を公共空間へ押し広げる作品群をあわせて追うとよいでしょう。彼の仕事では、台詞は説明の道具ではなく、共同体がいま何を引き受けられるかを試す装置として働きます。記憶を覚えることが抵抗になるという発想は、戯曲が単なる文字列ではなく、身体を通って初めて生きることを再確認させてくれます。

南野詩恵 / お寿司の系譜では、会話劇の器の中に生死観や宗教観を持ち込む近年の若手劇作の流れに注目したいところです。身近な生活の手触りから、超越的な主題へにじみ出る書き方は、別役実以降の不条理劇や、家族の会話を足場に世界認識を揺らす現代劇とも接続して読めます。現代日本の戯曲で「信じきれなさ」そのものを舞台化する試みとして、かなり重要な位置を占めるかもしれません。

さらにkondabaに関心を持った方は、彼らが過去に演出したイプセン『棟梁ソルネス』にも立ち返る価値があります。場所と身体の関係を掘り下げる彼らの方法は、近代戯曲を閉じたテキストとしてではなく、上演場所によって変質する素材として読み直すヒントを与えてくれます。川や土地の記憶を演劇化する今回の新作は、関西の地理と演劇史を結びつける視点としても注目に値します。

山下残の仕事を入口にするなら、ダンスが「物語を持たない身体表現」だという思い込みも更新されるはずです。詩や読書、ノーテーションと結びついた作品を見ると、ダンスもまたテキストと同じく、痕跡を残し、読み替えられ、他者に継承される媒体なのだとわかります。


フェスティバルを守るとは、上演本数を増やすことではない

今年のKYOTO EXPERIMENTを見ていると、フェスティバルの持続可能性について考えさせられます。一般に「持続可能」と聞くと、予算を増やす、客席を埋める、海外発信を強める、といった話に寄りがちです。もちろんどれも重要です。ただ、それだけでは足りません。

本当に守るべきなのは、完成した作品だけでなく、まだ言葉にならない問いや、土地を調べる時間や、観客と一緒に考える余白です。そこを削ってしまえば、フェスティバルはたしかに効率化されるかもしれませんが、KYOTO EXPERIMENTである必然もまた薄れていきます。

ディレクターたちが「小石」というイメージを掲げたのは、そのことをよくわかっているからでしょう。小石は目立ちません。大きな資本の論理から見れば、即座に換金しにくい存在です。しかし、人が旅の途中で拾い、ポケットに入れ、あとから取り出して思い返すのは、往々にしてそういう小さなものです。演劇祭も同じではないでしょうか。忘れがたいのは、派手な宣伝文句より、誰かの身体を通ってこちらに届いた小さな記憶の欠片です。

KYOTO EXPERIMENT 2026は、いまのところ、その小さな欠片をまだ信じています。だからこそ今年のラインナップ発表は、単なる秋公演の予定表ではなく、「実験的な舞台芸術を社会の中でどう生かし続けるのか」という宣言として読む価値があります。


まとめ

KYOTO EXPERIMENT 2026の本質は、豪華な国際ラインナップそのものより、作品・地域・対話・リサーチを一つの運動体として結ぼうとしている点にあります。資金難や制度変化の中でも、フェスティバルを「売れる文化の陳列棚」にしないという意志が、今年のプログラム全体から伝わってきます。

もし今年の秋に京都へ足を運ぶなら、一本の上演だけを観て帰るのではなく、その作品がどの土地から立ち上がり、どんな記憶を運び、どんな会話を開こうとしているのかまで含めて受け取ってみてください。そうするとKYOTO EXPERIMENTは、ただのイベントではなく、演劇がまだ社会に対してできることを考える場所として立ち上がってくるはずです。


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Written by

戯曲図書館 編集部

演劇経験者が運営する戯曲検索サービス「戯曲図書館」の編集チームです。 脚本選びのノウハウ、演劇業界の最新情報、公演レポートなどを発信しています。

公開日: 2026-07-31

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