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なぜ高麗屋は『ハムレット』を継ぐのか──市川染五郎と“演じ継がれる王子”の系譜

9分で読めます
#演劇#ハムレット#市川染五郎#シェイクスピア#歌舞伎#松本白鸚
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高麗屋にとって『ハムレット』はなぜ特別なのか

2026年の舞台『ハムレット』は、若手スターが古典の大役に挑む話題作、というだけでは終わりません。今回の核心は、市川染五郎さんが、祖父・二代目松本白鸚さん、父・十代目松本幸四郎さんに続いて同じ役を演じたことにあります。しかも公式サイトでも明言されている通り、これは染五郎さんにとってストレートプレイ初出演・初主演でした。歌舞伎の名門・高麗屋にとって、『ハムレット』が単なる外題ではなく、節目ごとに俳優の現在地を測る試金石として機能していることが、このニュースの本当のおもしろさです。

舞台『ハムレット』公式サイトでは、デヴィッド・ルヴォーさんがこの作品を「若者の悲劇」であり、「政治のシニカルな現実」に支配された世界の中で若者の命と想像力が浪費される物語だと語っています。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)もまた、『ハムレット』を「悲嘆が精神を揺らし、やがて良心の危機へ至る劇」と位置づけています。つまりこの戯曲は、父の死を嘆く王子の物語であると同時に、若い演者が“世界の不正とどう向き合うか”を問われる劇でもあります。

その役を、高麗屋では三代にわたって受け渡してきました。ここにあるのは単なる家芸の継承ではありません。むしろ毎回、同じ『ハムレット』を使って「この時代の染五郎とは誰か」を更新してきた歴史だと見るべきです。


三代の『ハムレット』が示すもの

コモレバWEBの記事によれば、二代目松本白鸚さんは17歳でテレビ版『ハムレット』を演じ、舞台では1972年に日生劇場でハムレットに挑みました。さらに四大悲劇である『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』をすべて演じたことも紹介されています。父である十代目松本幸四郎さんも、染五郎時代の14歳で三百人劇場の『ハムレット』に出演し、歌舞伎外の芝居への第一歩を踏み出しました。

そして2026年、当代の市川染五郎さんが21歳で同じ役を引き受けます。TBS NEWS DIG や毎日新聞が伝えた製作発表では、染五郎さんは祖父がハムレットを演じた際の指輪を「お守り代わり」として身につけ、本番でも着用したいと語っていました。父と祖父からの助言として「フェンシングやらなきゃね」と言われたというエピソードも象徴的です。

この話が面白いのは、継承が抽象的な精神論ではなく、非常に具体的な身体のレベルに落ちているからです。指輪、剣、立ち姿、呼吸。役はテキストだけではなく、身体技法とともに受け渡されます。歌舞伎の世界では本来当たり前のことですが、それがシェイクスピア劇に接続されたとき、継承の輪郭がいっそう鮮明になります。

一方で、継承がそのまま模倣を意味しないことも重要です。公式サイトで染五郎さんは「生きた演劇、生きた『ハムレット』を目指したい」と語っています。つまり高麗屋における『ハムレット』は、先代の型をなぞるための記念碑ではなく、今の観客に届くように毎回再発明されるべき役なのです。


歌舞伎俳優が『ハムレット』を演じるときに起きること

市川染五郎さんの2026年版について、エントレの観劇レビューは「現代版ハムレット」と明言し、ラフな現代衣裳、LEDモニター、ノイズ音、スピーディーな展開の中で、従来の復讐劇というより“知性が先に動く危うい青年”としてハムレットが立ち上がっていたと書いています。ここが今回の上演の大きなポイントでした。

歌舞伎俳優がシェイクスピアを演じると聞くと、多くの人は重厚さや様式美を想像するかもしれません。ところが今回のルヴォー演出は、その予想を少しずらしました。むしろ若さ、軽さ、不安定さを前面に出し、ハムレットを“完成された王子”ではなく、“まだ役割に追いついていない若者”として見せたのです。

しかし、この読み替えは歌舞伎的身体と矛盾しません。なぜなら歌舞伎の名門に育つ俳優ほど、幼い頃から「役を継ぐとは何か」を身体で知っているからです。家にふさわしい芸を背負うこと、先代との比較を避けられないこと、自分の年齢では抱えきれない期待にさらされること。これは、そのままハムレットが抱える「父の亡霊に呼ばれ、自分以上の役割を引き受けさせられる」構図と響き合います。

だから今回の配役は、単に“歌舞伎俳優がシェイクスピアをやる”という異種混交ではありません。高麗屋の俳優が置かれた環境そのものが、『ハムレット』という戯曲の主題に近いのです。家を背負う若者が、父の不在と父の命令のあいだで揺れる。これほど役と俳優の条件が重なる例は、そう多くありません。


高麗屋の系譜で読むと『ハムレット』の主題が変わって見える

一般に『ハムレット』は、優柔不断な王子の復讐悲劇として読まれがちです。もちろんそれは間違いではありません。ただ、高麗屋三代の上演史を重ねてみると、この戯曲は「父をどう継ぐか」という劇として、より強く見えてきます。

亡霊として現れる父は、単に復讐を命じる存在ではありません。息子に対して、世界の秩序を回復せよと迫る存在です。息子はまだ若く、迷い、ためらい、しばしば失敗します。それでも役割だけは先に与えられてしまう。この非対称が『ハムレット』の痛みです。

歌舞伎の名門に生まれた俳優にも、ある種似た構造があります。本人の成熟を待たずに、名前と期待が先に到着します。もちろん現実と戯曲は同じではありません。しかし、観客の側がこの重なりを意識すると、ハムレットの台詞は単なる文学的独白ではなく、家と個人のあいだで引き裂かれる若者の声として生々しく響きます。

毎日新聞が紹介したように、染五郎さんは『ハムレット』を「私の家にとって、とても大切な作品です」と語っています。この一言は重いです。普通なら俳優は「自分にとって大切な役」と言うところでしょう。しかしここではまず「家」が先に来るのです。そこに高麗屋の『ハムレット』の本質があります。

ただし、だからこそ重要なのは、家の物語に回収されすぎないことでもあります。ハムレットは家を守るだけの人物ではありません。むしろ家族制度そのものが腐っていると知ってしまった青年です。父を継ぐことと、父の世界をそのまま肯定することは違います。今回のルヴォー版が“現代のハムレット”として見せた不穏さは、このズレを丁寧に浮かび上がらせていました。継ぐことは、そのまま従うことではない。ここにこの戯曲の現代性があります。


関連作品から見えてくる、読むための導線

このトピックをきっかけに『ハムレット』へ入るなら、関連作品も一緒にたどると理解が深まります。

まず読むべきは、やはり『ハムレット』

当然ですが出発点は本文です。復讐劇として筋を追うだけでなく、

  • 父の亡霊が何を命じるのか
  • 母の再婚がなぜこれほど大きな傷になるのか
  • 独白でハムレットが何を保留し、何を決められないのか

を意識すると、今回の上演史の意味がよく見えてきます。

次に並べたいのは『オセロ』『マクベス』『リア王』

コモレバWEB が紹介している通り、二代目松本白鸚さんは四大悲劇すべてを演じています。これは単なる履歴ではありません。四大悲劇を横に並べると、『ハムレット』だけが際立って若い主人公を中心にしていることがわかります。

  • 『オセロ』は成熟した英雄が疑念に崩れる劇です。
  • 『マクベス』は野心が行為を加速させる劇です。
  • 『リア王』は老いと権力の錯誤が世界を壊す劇です。
  • 『ハムレット』は、行為へ踏み切れない若者の劇です。

つまり『ハムレット』は、シェイクスピア悲劇のなかでも特に“これから何者になるのか”が問われる作品です。高麗屋の若い俳優が節目で向き合う役として、非常に理にかなっています。

日本の観客には『オセロ』の系譜も面白いです

コモレバWEB では、染五郎さんの高祖父にあたる初代松本白鸚が、八代目松本幸四郎時代に『オセロ』を演じたことにも触れています。ここから見えてくるのは、高麗屋がシェイクスピアを“外来の教養”としてではなく、自家の俳優史に組み込んできたことです。

この視点に立つと、シェイクスピアを読む意味も変わります。西洋古典をありがたく受容するのではなく、日本の俳優が何代にもわたってどう自分の肉体に移植してきたかを見る読み方が可能になります。


今回のニュースが単発で終わらない理由

舞台ニュースは、開幕・会見・配信決定といった“イベント”として消費されがちです。しかし今回の『ハムレット』は、ニュースそのものよりも、その背後にある長い時間のほうが重要です。

BS朝日の特番タイトルは「その幕が上がるまで ~八代目 市川染五郎の挑戦~」でした。この「挑戦」という言葉は、単に難役に挑むという意味では足りません。三代にわたって演じられてきた役に、自分の現在形をどう刻むかという挑戦でもあります。

しかも今回の上演は、過去の名演をそのまま再現する方向ではなく、LED映像やノイズ音、現代的な衣裳を用いた新解釈へ踏み込んでいました。ここに私は大きな意味があると思います。伝統とは、保存だけで守られるものではありません。むしろ大切な役ほど、その都度いちばん危ういやり方で更新されなければ、生きた芸にはならないからです。

高麗屋にとって『ハムレット』は、家の歴史を確認する作品であると同時に、その歴史を壊しながら先へ進む作品でもあるのでしょう。祖父と父が演じたから、同じように演じるのではない。祖父と父が演じたからこそ、違う『ハムレット』を作らなければならない。その緊張こそが、今回のニュースを深掘りする価値でした。


まとめ

市川染五郎さんの『ハムレット』は、名門の若手が古典に挑んだ、という美談だけで受け取るには惜しい出来事でした。高麗屋三代がこの役を演じてきた歴史をたどると、『ハムレット』は単なる名作ではなく、家と個人、継承と反逆、若さと責任の衝突を測る装置として機能してきたことが見えてきます。

そしてそれは、戯曲そのものの核心とも重なります。父から何を受け継ぐのか。受け継ぐことは従うことなのか。家に与えられた役を、自分の言葉と身体でどう生き直すのか。こうした問いは、歌舞伎俳優だけのものではなく、いま古典を読む私たち自身にも向けられています。

もし今回のニュースで『ハムレット』に興味を持ったなら、まずは戯曲本文を読んでみてください。そのうえで『オセロ』『マクベス』『リア王』まで広げていくと、なぜ高麗屋がこの王子を演じ継いできたのか、その理由がもっと立体的に見えてくるはずです。


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Written by

戯曲図書館 編集部

演劇経験者が運営する戯曲検索サービス「戯曲図書館」の編集チームです。 脚本選びのノウハウ、演劇業界の最新情報、公演レポートなどを発信しています。

公開日: 2026-07-16

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