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『Tomorrow Will Be a Palestinian Day』が示す、パレスチナ演劇のいま――短編劇が“生き延びる言葉”になるとき

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#海外演劇ニュース#パレスチナ演劇#Tomorrow Will Be a Palestinian Day#短編劇#戯曲#現代演劇
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なぜ今、この上演を深掘りするのか

2026年6月、ロンドンのTheatre503で『Tomorrow Will Be a Palestinian Day』が上演されています。Theatre503の公演ページによれば、本作はBet’n Lev Theatre、White Kite Collective、PalArt Collectiveが共同で手がける短編劇集で、Hossam Madhoun、Ali Abu Yassin、Nahil Mohana、Dareen Tatour、Jehad Abu Daya、Mohammed Al Qudwa、Motasem Abu Hasan、Imad Wahbaらの新作短編と、故Walid Daqqaの戯曲抜粋の英語初演が並ぶ構成です。出演者もパレスチナ人キャストを中心に組まれており、単なる「国際交流企画」ではなく、パレスチナ演劇そのものをロンドンの小劇場空間へ持ち込む試みとして組み立てられています。

ニュースとして受け取るなら、「ロンドンでパレスチナ作家の短編劇集が上演される」という一文で済みます。けれど、本当に重要なのはそこから先です。いま深掘りすべきなのは、この企画が悲惨な現実をそのまま再現することではなく、短編劇という形式を使って“声が潰されそうな状況でも言葉はまだ届く”という条件そのものを舞台化している点にあります。

Guardianのレビューは、この上演がわずか1週間の稽古で立ち上げられ、9本の短編が病院、瓦礫、難民キャンプ、家族の居間、子どもの想像力といった場所を横断しながら、恐怖のただなかにある希望を描いていると報じています。ここで注目したいのは、希望が楽天性として置かれていないことです。希望は、状況が改善したから生まれるのではありません。むしろ、状況が壊滅的だからこそ、なおも人が話す、書く、演じる、その行為自体が希望として立ち上がるのです。

戯曲図書館の読者にとって、このトピックが切実なのは、演劇の最小単位にかかわる問いがあるからです。劇場が豪華な装置を持てないとき、稽古時間が足りないとき、現場そのものが危機にさらされているとき、それでも演劇は成立しうるのか。『Tomorrow Will Be a Palestinian Day』は、その問いに対して、成立すると答える作品群です。ただしそれは、根性論ではありません。短く、鋭く、共有可能な場面に凝縮することで、演劇の持久力を回復させているのです。


これは「まとめ企画」ではなく、短編劇の連帯を設計した上演です

Theatre503の案内文を見ると、この企画にははっきりした編集意図があります。サンタクロースがガザを訪れる話、届かない手紙の話、家族が瓦礫の下に閉じ込められる話、沈黙によって抵抗する少女の話。題材だけ見れば、ばらばらの短編を並べたオムニバスにも見えます。ですが実際には、これらは「いまパレスチナをどう書くか」という一点で結び直されています。

ここで大事なのは、短編が単なる制約の産物ではないことです。短編劇はしばしば、長編を書けない状況の代用品だと見なされます。しかし本作では、短いこと自体が表現の核になっています。なぜなら、現在進行形の暴力や喪失を前にすると、人は長い説明よりも、まず断片で語るからです。ひとつの家。ひとつの手紙。たった5分の通話。ひとりの医師のひと言。短編は、その断片性を欠点ではなく、むしろ現実にもっとも近い形式として引き受けます。

Guardianが紹介している各編の印象も、そのことをよく示しています。Mohammed Al Qudwaの『The Last Letter』では、最後に残った家にいる人物のもとへ、世界や人類に宛てた実存的な手紙が届きます。Jehad Abu Dayyaの『Ruins』では、瓦礫の下で家族が即席の切断手術を迫られます。Ali Abu Yassinの『The Cage』では、爆撃で身体を傷つけられた少女が、周囲の言説に応答しないことで逆に強い怒りを示します。これらはそれぞれ別の劇ですが、共通しているのは、状況の全貌よりも「その瞬間に人間がどう言葉を持つか」に焦点があることです。

私はここに、短編劇の強さを感じます。長編劇は人物や歴史を厚く描けますが、短編劇は一撃で客席の呼吸を変えることができます。しかも本作の場合、その一撃が何本も連なることで、単発のショックではなく、ひとつの地層のような厚みを作っています。短い作品の集合が、長編では出しにくい同時代の多声性を生むのです。


パレスチナ演劇の系譜で見ると、この企画の輪郭がよくわかります

この上演を一回限りの時事反応としてだけ見ると、もったいないです。むしろ重要なのは、これがパレスチナ演劇の長い系譜の延長線上にあることです。

ジェニン難民キャンプを拠点とするThe Freedom Theatreは、自らを「文化的抵抗」の場として明確に位置づけています。公式サイトによれば、2006年の設立以来、若者に演劇と視覚芸術を開き、George Orwell『Animal Farm』、Ghassan Kanafani『Men in the Sun』、Harold Pinter『The Caretaker』、Athol Fugard『The Island』の翻案に加え、『The Siege』『Return to Palestine』などのオリジナル作品を上演してきました。ここで見えてくるのは、パレスチナ演劇が単に「現地の現実を証言する演劇」ではないことです。古典や現代劇を引き寄せながら、自分たちの現実と再接続することで、演劇を教育、共同体形成、批評、抵抗の場として育ててきたのです。

この文脈に置くと、『Tomorrow Will Be a Palestinian Day』の短編形式も、急ごしらえの便法ではなくなります。むしろ、共同体のなかで言葉を回し、複数の視点を同時に立ち上げる、パレスチナ演劇らしい方法のひとつとして見えてきます。外からは「切迫した政治劇」に見えるかもしれませんが、内実はもっと豊かです。詩、風刺、子どもの視点、不条理、寓話、証言、沈黙。それぞれ違う方法が、ひとつの上演空間に共存しています。

演劇史として見ても、これはとても興味深いです。抑圧下の演劇は、しばしば記録か扇動のどちらかに寄りやすいと思われます。しかし実際には、そのあいだに膨大な幅があります。笑いをまじえること、寓話にずらすこと、子どもの想像力を借りること、翻訳を通じて別の客席へ運ぶこと。『Tomorrow Will Be a Palestinian Day』は、そうした幅そのものを見せてくれる企画です。


ASHTAR Theatreと『The Gaza Monologues』が残したもの

この企画を考えるうえで、ASHTAR Theatreの存在も外せません。『The Gaza Monologues』の公式サイトによれば、このプロジェクトは2010年、ガザの33人の若者が「恐怖の叫び以外の声」を持つのだと信じて書いたモノローグから始まりました。ASHTARはそれを「行動のための演劇」へ変え、2010年以降、80以上の都市、40か国以上、18言語に広がる世界的な上演運動へ発展させています。2024年には『The New Gaza Monologues』と『Letters to Gaza』として更新も行われました。

ここで見逃せないのは、モノローグと短編劇の相性です。大規模な物語を一気に語るのではなく、ひとりの声をまず立たせる。その声が別の声と並び、やがて複数形になる。この構造は、『Tomorrow Will Be a Palestinian Day』にもはっきり受け継がれています。

つまり本作は、単に「パレスチナを題材にした複数の短編を集めた」企画ではありません。孤立させられた声を、舞台の上で複数の声へ戻すための設計なのです。モノローグが「私はここにいる」と言う形式だとすれば、短編劇集は「私たちはそれぞれ別の場所からここにいる」と言う形式です。この違いは大きいです。前者が存在証明なら、後者は共同体の再構成だからです。

戯曲の観点から言えば、こうした形式は日本でももっと注目されてよいと思います。短編劇やモノローグは、しばしば公演の隙間やワークショップの成果発表のように軽く扱われがちです。ですが、ASHTARの実践が示しているのは、短い形式こそ危機の時代においてもっとも遠くへ届く可能性があるということです。


Walid Daqqaの参加が意味するもの

Theatre503の公演情報とGuardianのレビューで特に目を引くのが、Walid Daqqaの戯曲『The Martyrs Return to Ramallah』抜粋の英語初演です。Daqqaは2024年に亡くなったパレスチナ人作家であり政治囚でした。Addameerのプロフィールによれば、1986年に逮捕され、長年の収監のなかで大学教育を受け、多数の著作を残し、その中には2022年の『The Tale of the Specter / Martyrs Return to Ramallah』も含まれています。

この事実が重要なのは、Daqqaが「受難の象徴」として消費されているのではなく、作品を持つ劇作家としてこの企画に配置されているからです。政治囚であったことは彼の人生の大きな条件ですが、それだけで彼のテクストの価値が決まるわけではありません。Guardianが触れているように、彼の抜粋は不条理で、死者たちが語り出すという幽霊譚めいた構造を持っています。ここには、政治的メッセージを直線的に伝えるだけではない、演劇ならではの歪みや余白があります。

私はこの点をかなり大切に見ています。抑圧された地域の作品は、ときに「内容が切実だから重要」とだけ言われてしまいます。もちろん切実さは重要です。しかし、それだけだと作品そのものの形式的な工夫や美しさが置き去りになります。Daqqaがこの短編劇集に入ることで、本作は証言集以上のものになっています。つまり、政治と詩、不条理と記録、死者と現在が同じ舞台に立つのです。

これは戯曲を読む人にとっても、大きな示唆があります。社会的に重要な題材を書くときほど、説明の正しさだけでは足りません。どういう形式で語るのか、どこに比喩を入れるのか、どこで現実をずらすのか。その技術がなければ、作品は資料になっても演劇にはなりにくいからです。Daqqaの参加は、そのことを静かに思い出させます。


この上演の核心は、「希望」を安易に明るくしないことです

Theatre503の紹介文には、beauty、loss、hope、dreams for the futureといった言葉が並んでいます。こういう言葉は使い方を誤ると、現実を薄めてしまいます。けれどGuardianのレビューを読むかぎり、本作の希望はそうした軽さとは別の場所にあります。

たとえば、サンタクロースが空っぽの袋でガザを訪れる『Santa Claus on Holiday』は、設定だけ見ればユーモラスです。ですが、空っぽの袋というイメージは、そのまま欠如のイメージでもあります。何も持ってこられないサンタ。それでも笑いの必要を語る人物。ここには、希望を届ける側の無力さまで含まれています。

同じように、『Five Minutes』の「ロンドンが5分だけくれた」という切迫した状況には、国際社会やメディア環境へのアイロニーもにじみます。つまり本作は、希望を「みんなで頑張ろう」という抽象語では出していません。むしろ、足りない時間、足りない安全、足りない言葉、その不足を正面から見つめたあとで、それでも話すこと・笑うこと・書くことを手放さない姿として示しています。

私は、ここにこの企画の倫理があると思います。悲惨さを積み上げれば自動的に価値が出るわけではありませんし、逆に希望を掲げれば観客が救われるわけでもありません。そのどちらにも逃げず、壊れた現実の中にまだ残っている感情や冗談や夢をひろい直す。その作業こそが演劇であり、だからこそこの上演は劇場で行われる意味があります。


関連作品として読みたい戯曲・舞台

このトピックを入り口に、関連する作品へ手を伸ばすと、パレスチナ演劇や抵抗の演劇がより立体的に見えてきます。

1. 『The Gaza Monologues』

まず最初に挙げたいのは、やはりASHTAR Theatreの『The Gaza Monologues』です。複数の若い書き手の声が並ぶことで、ニュースでは均質化されがちな「ガザ」が、固有名を持った複数の人生として立ち上がります。『Tomorrow Will Be a Palestinian Day』の短編性を理解するうえでも、もっとも近い参照点です。

2. 『The Siege』

The Freedom Theatreの代表作のひとつである『The Siege』は、包囲された空間の中で人間の尊厳や選択を問う作品として知られています。閉じ込められた場所での対話、時間の圧縮、集団の中の個人という主題は、『Tomorrow Will Be a Palestinian Day』に通じるものがあります。

3. ガッサーン・カナファーニー『太陽の男たち』『ハイファに戻って』

戯曲そのものではありませんが、パレスチナ文学を考えるうえでカナファーニーは外せません。喪失、移動、帰還、語れなかったこと、沈黙の意味といったテーマは、現代の舞台作品にも深く流れ込んでいます。特に「帰ること」が地理的移動ではなく、記憶や言語の問題でもある点は、本作の背景理解に役立ちます。

4. 『Black Watch』

地域も文脈も異なりますが、「戦争をどう演劇化するか」という問いで並べるなら、『Black Watch』はやはり参照したい作品です。戦場の再現ではなく、兵士の身体、言葉、記憶の断片で客席に戦争の感覚を渡す方法は、危機を舞台で扱う際の重要なヒントになります。


戯曲を書く人・演じる人にとっての学び

この上演から学べることは、政治的な題材を扱う人だけに限りません。むしろ、あらゆる書き手や演じ手に関係があります。

第一に、短い形式でも世界は狭くならないということです。短編劇やモノローグは、長編より情報量が少ないぶん、しばしば「軽い形式」だと思われがちです。しかし本作は逆です。ひとつの場面を切り出すことで、かえって背後の世界が濃く見えてきます。削ることが、浅くすることと同義ではないのです。

第二に、複数の声を並べる編集の力です。同じテーマを扱っても、すべてをひとりの主人公に背負わせる必要はありません。ときには、複数の短いテクストを並べたほうが、現実の多層性に近づけます。いま日本の小劇場でも、社会問題を扱うと説明過多になったり、ひとりの人物に背負わせすぎたりすることがあります。そのとき、短編群という形式はかなり有効な選択肢になります。

第三に、切実さと美しさを両立させることです。切実な題材だから、荒っぽくてもよいわけではありません。逆に、美しい比喩があれば現実を薄めてよいわけでもありません。本作が示しているのは、その両方を手放さない姿勢です。政治性を持ちながら詩を失わないこと。記録性を持ちながら演劇性を失わないこと。これはとても難しいですが、だからこそ価値があります。


まとめ

『Tomorrow Will Be a Palestinian Day』の価値は、パレスチナを題材にしていることだけではありません。本当に重要なのは、短編劇という形式を通じて、壊されかけた声をもう一度舞台の上で複数形に戻していることです。

この上演には、時事的な緊急性があります。けれど同時に、ASHTAR TheatreやThe Freedom Theatre、Walid Daqqaの仕事へつながる演劇史の厚みもあります。だからこそ、これは単発のニュースでは終わりません。パレスチナ演劇のいまを知る入口であると同時に、演劇がどんな条件で生き延びるのかを考えるための、とても重要なケーススタディになっています。

短編は小さい形式ではありません。むしろ、世界があまりにも大きく壊れているとき、短編こそが現実を手放さずに持ち運べる最小の器になります。『Tomorrow Will Be a Palestinian Day』は、そのことを静かに、しかし強く証明している上演です。


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Written by

戯曲図書館 編集部

演劇経験者が運営する戯曲検索サービス「戯曲図書館」の編集チームです。 脚本選びのノウハウ、演劇業界の最新情報、公演レポートなどを発信しています。

公開日: 2026-06-03

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