『スリーゴースト』は、堺雅人の17年ぶり舞台復帰だけでは語りきれない
2026年秋、PARCO劇場でサイモン・スティーヴンス作、ショーン・ホームズ演出の新作『スリーゴースト』が上演されます。主演は堺雅人。ここだけ抜き出しても十分に大きなニュースですが、本当に面白いのは別のところにあります。
この企画は、海外の有名劇作家の新作を日本で上演する、という単純な輸入型の話ではありません。PARCOの公式情報や会見記事によれば、この作品は2020年の『FORTUNE』以後、6年近くにわたってオンライン打ち合わせ、英語台本でのワークショップ、日本語台本でのワークショップ、来日リサーチを重ねながら育てられてきました。つまり『スリーゴースト』は、完成済みの英語戯曲を翻訳して持ち込む企画ではなく、東京という都市、日本の俳優、日本語の響き、その全部を前提にゆっくり立ち上げられてきたワールドプレミアなのです。
ここに、このニュースを深掘りする価値があります。サイモン・スティーヴンスは『夜中に犬に起こった奇妙な事件』の舞台化でトニー賞・オリヴィエ賞に結びつく成果を生み、『Punk Rock』『Motortown』『Sea Wall』などでも知られる、現代イギリス演劇の中心的な劇作家です。その彼が、日本のプロデューサーと組み、東京への愛情を公言しながら、未来の東京を舞台にした幽霊劇を書いている。この事実は、単なる話題性以上に、いまの演劇がどこで生まれるのかという問題に直結しています。
サイモン・スティーヴンスとは、何を書く作家なのか
サイモン・スティーヴンスの名前を聞くと、まず『夜中に犬に起こった奇妙な事件』を思い出す人が多いかもしれません。たしかにあの舞台化は、原作小説の内面をどう演劇化するかという難題に対して、空間・身体・映像を一体で使う回答を与えた代表例でした。ただし、スティーヴンスの本質をそこだけで捉えると少し狭くなります。
彼の初期から中期にかけての仕事を並べると、都市の不安、家庭の断絶、若者の暴力、親密さの壊れやすさといった主題が繰り返し現れます。『Bluebird』には、見知らぬ者同士が車内で交わす対話の切実さがあります。『Motortown』には、戦争帰還兵を通して崩れた社会の肌触りがあります。『Punk Rock』には、学校という閉じた空間に充満する緊張があり、『Sea Wall』には、親密な独白がある瞬間から取り返しのつかない喪失へ接続される怖さがあります。
これらに共通するのは、物語の大仕掛けよりも、人が言葉で世界をつなぎ止めようとする瞬間の不安定さです。スティーヴンスの登場人物は、しばしば何かを説明しようとし、言い訳し、愛そうとし、理解しようとします。しかしその言葉は、相手に届く寸前でずれたり、間に合わなかったり、暴力の前で無力になったりします。だから彼の戯曲は、会話劇でありながら、常に“地面が少し揺れている”感じがあります。
『スリーゴースト』の公式あらすじを見ると、夢をデジタル化して再現する装置「リープマインド」をめぐり、仕事、結婚、家族、罪悪感、失踪、そして死者の気配が交差していくようです。ここには、テクノロジーという新しい外装がありつつも、スティーヴンスがずっと書いてきた「親密さのひび割れ」と「消えない過去」がしっかり見えます。私はここに、この作家らしさがかなり濃く出るのではないかと感じます。
『東京について書きたかった』という発言の重さ
PARCO公式サイトに掲載されたスティーヴンスのコメントで特に印象的なのは、「何よりもまず、東京についての作品を書きたいと強く願っていました」という一節です。しかも彼は、東京を友人や仕事仲間に案内されながら歩き、小津安二郎、黒澤明、松尾芭蕉、三島由紀夫への敬意も作品に息づいていると述べています。
こういうコメントは、宣伝文句として消費することもできます。ただ、今回は簡単にそう切り捨てないほうがよさそうです。なぜならこの企画は、短期滞在の異文化インスピレーションではなく、数年単位でのリサーチと改稿を伴っているからです。ぴあの会見レポートでも、2020年の依頼以降、2024年にロンドンで英語版ワークショップ、2025年に東京で日本語版ワークショップ、2026年に再び東京で演出ワークショップという流れが明記されていました。
ここで重要なのは、東京が単なるロケーションではなく、創作プロセスそのものを変える条件になっていることです。英語圏の劇作家が日本を舞台に設定するとき、しばしば日本は抽象的なイメージの容器になってしまいます。静けさ、過密、テクノロジー、死者との距離感、そうした既視感のあるラベルだけが前に出ることも少なくありません。
しかし『スリーゴースト』は、日本人俳優による日本語上演を最初から目指し、その途中で翻訳台本と稽古場を何度も往復しています。これは「日本を題材にした英国戯曲」ではなく、もっとややこしい位置にある作品です。言ってしまえば、英国の劇作家が日本に“ついて”書くのではなく、日本の上演現場の中で日本語の劇として変化しながら書かれている。この中間性が面白いのです。
幽霊劇として読むと見えてくるもの
タイトルの『スリーゴースト』について、会見記事ではスティーヴンスが「一人目は警告を与え、二人目は慰め、三人目は『そろそろあなたの番です』と伝える」と説明しています。これはいかにも演劇的な設定です。なぜなら舞台における幽霊とは、たいてい“見えないものが見える”現象ではなく、現在が過去に突き破られる瞬間だからです。
シェイクスピアの『ハムレット』でも、父の亡霊はただ不気味な存在ではありません。あれは主人公の行動を規定し、現在の政治と家族関係を過去から侵食する装置です。イプセンの『ヘッダ・ガーブレル』や『幽霊』まで広げれば、舞台上の亡霊は実体を持たなくても、記憶、規範、罪責感として人間関係の内部に住み着きます。チェーホフでも、失われた時間はしばしば幽霊のように会話の背後へ立ち続けます。
『スリーゴースト』のあらすじには、若くして自死した姉を助けられなかったという主人公ジョーの負い目がすでに書き込まれています。これだけで、死者は最初から舞台の外にいません。さらに「夢の記録」「記憶の再生」「現実と交錯する感情」という要素が加わると、この作品の幽霊はホラー的な驚かしではなく、記録技術によって消え損ねた感情として現れる可能性が高いでしょう。
ここで私は、現代の演劇がテクノロジーを扱うときの面白さを感じます。AI、記録、再現、アーカイブといった言葉は、未来的に見えて、実はとても幽霊的です。なぜならそれらは「もう終わったはずのものを、別の形でそこに留める」技術だからです。リープマインドという装置は、便利な近未来ガジェットである以上に、忘れたいものを忘れさせてくれない現代の記憶装置として働くのではないでしょうか。
ショーン・ホームズ演出だからこそ起きること
この企画をさらに興味深くしているのが、演出がショーン・ホームズだという点です。日本ではPARCO劇場での『セールスマンの死』『桜の園』『リア王』によって、古典や近代劇を現代の観客へ引き寄せる手腕が強く印象づけられました。公式情報でも、『セールスマンの死』が段田安則の読売演劇大賞受賞につながったことが強調されています。
ホームズの仕事の特徴は、作品を過剰に現代化して“解説”することではなく、俳優の身体と空間の緊張を高めて、テキストの古さをいったん無効にするところにあると私は思います。だから彼がサイモン・スティーヴンスの新作を演出するとき、見どころは奇抜な見せ物ではなく、まだ定着していない台本を俳優の時間の中でどう育てるかにあります。
NiEWの記事では、ホームズ自身がこの作品を「ロンドンでも東京でもない、その間のどこかに漂っているような物語」と表現していました。これは重要な言い方です。つまりこの作品は、英国作家が日本で上演する異国趣味でも、日本の俳優が海外戯曲を演じる受け身の翻訳劇でもありません。どちらでもあり、どちらでもない中間地帯で立ち上がる。それを成立させるには、完成品を持ち込むより、稽古場で試す演出家が必要です。ホームズはまさにそこに強い人です。
堺雅人の起用は、スター性より“稽古場の質”に関わる
『スリーゴースト』の報道ではどうしても「堺雅人、17年ぶりの舞台」が大見出しになります。もちろんそれは正しいですし、観客を引き寄せる大きな力でもあります。ただ、今回のキャスティングで注目したいのは知名度だけではありません。
会見記事を読むと、堺雅人自身がこの企画を「壮大な実験」「大学時代の演劇研究会を思い出した」と捉えていることがわかります。スティーヴンスもホームズも、彼の想像力や遊び心、稽古場への献身を高く評価していました。ここから見えてくるのは、堺雅人が単にチケットを売るためのスターとして呼ばれたのではなく、未完成のテキストを稽古場で押し広げる中心的な協働者として期待されているということです。
これは日本の商業演劇にとって、案外大きな意味を持っています。大規模公演では、どうしても「完成した演出プランに俳優が参加する」構図が強くなりがちです。ところが今回は、台本自体が推敲段階で、役柄の職業すら変わりうると会見で語られていました。この流動性の中で主演俳優がどれだけ創作に関われるかは、作品の質に直結します。
しかも共演には倉科カナ、伊勢佳世、迫田孝也、sara、小日向星一、高畑淳子、段田安則と、舞台での対話と反応が楽しみな俳優が揃っています。幽霊劇や記憶劇は、説明台詞だけで進めると急に薄くなります。逆に、相手を前にしたときに何を言えなくなるか、何を見ないふりするかが立ち上がると一気に厚みが出ます。この座組は、その厚みを生みやすいはずです。
『FORTUNE』から『スリーゴースト』へ──日英共同創作の次の段階
PARCOの説明では、この企画の起点は2020年の『FORTUNE』でした。つまり一度きりの招待仕事ではなく、前回の協働が次の委嘱へつながり、その後さらに長い開発期間が続いたわけです。ここで見えてくるのは、海外作家との関わり方が少し変わってきていることです。
これまで日本で海外戯曲を上演するとき、多くは「すでに評価の定まった作品を翻訳して上演する」かたちでした。もちろんそれ自体は大切ですし、名作に触れる入口として非常に重要です。ただ、その方式だけだと、日本の上演現場はどうしても“受け取る側”に留まりやすい。
一方『スリーゴースト』のようなプロジェクトでは、日本のプロデューサー、翻訳者、俳優、演出家、デザイナー、稽古場の反応が、作品の最終形に食い込んでいきます。つまり日本は上演地ではなく、作品が生成される場所になっています。これは、翻訳劇文化の成熟した次の段階としてかなり健全です。
戯曲図書館の読者に引きつけて言えば、ここで問われているのは「戯曲はどこで完成するのか」という問題です。紙の上で完結したものを読むのか、稽古場を経てようやく輪郭を持つものを読むのか。『スリーゴースト』は後者の性格が強いでしょう。だからこそ上演後には、完成台本そのものをぜひ読みたくなるはずです。どの場面が俳優との試行錯誤で変わったのか、どの言葉が日本語で新しい重さを得たのか、読む楽しみが最初から内蔵されています。
この作品から連想したい関連戯曲・作品
『スリーゴースト』を待つあいだに、いくつか思い出しておきたい作品があります。
まずサイモン・スティーヴンス自身の代表作なら、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』は外せません。内面の知覚をどう舞台化するかという課題に対し、言葉だけに頼らず演劇の総合力で答えた作品だからです。もし『スリーゴースト』が夢や記憶の再生を扱うなら、この系譜は確実につながっています。
次に『Sea Wall』です。これは大きな仕掛けより、語りの積み重ねが最後に深い亀裂へ変わる作品です。親密さと喪失の距離感を知るには格好の一本でしょう。『Motortown』や『Punk Rock』まで広げれば、スティーヴンスが社会の不穏さを個人の会話へどう沈殿させるかも見えてきます。
もう少し視野を広げるなら、『ハムレット』の亡霊、『桜の園』の失われた時間、『リア王』における家族と崩壊も、この新作を読む補助線になります。しかもホームズはすでに日本で『桜の園』『リア王』を手がけています。彼の演出の中で、過去が現在へしみ出してくる感覚を知っておくと、『スリーゴースト』の見え方も変わるはずです。
日本の作品でいえば、東京という都市と人の距離感を考えるなら平田オリザの『東京ノート』、記憶と共同体のにじみ方を考えるなら柴幸男の作品群も連想に値します。もちろん作風はまったく違いますが、都市の現在を、その場にいない人々の気配ごと舞台に載せるという意味では、響き合うところがあります。
『スリーゴースト』が本当に面白くなるのは、上演後かもしれない
私はこのニュースを見て、いちばん楽しみなのは上演そのものだけでなく、そのあとに残るものです。もし『スリーゴースト』が成功すれば、それは堺雅人の久々の舞台復帰作としてだけでなく、日本の劇場が海外劇作家の新作生成に本気で関われることを示す実例になります。
しかも題材は、愛、結婚、罪悪感、家族、テクノロジー、死者の気配です。どれも普遍的ですが、同時に、超高齢化や記録技術の浸透を生きる現代日本にかなり生々しく触れてくる主題でもあります。東京に向けて書かれたという言葉が本物なら、この作品は“海外作家が書いた日本公演”ではなく、いまの東京でしか立ち上がらない感情を持つはずです。
そして戯曲好きにとって重要なのは、ここから先です。上演後にテキストがどう読まれるのか。サイモン・スティーヴンスのキャリアの中でどこに位置づくのか。日本語上演を通じて、彼の言葉の癖や沈黙の作り方はどう変わるのか。『スリーゴースト』は、観る前からすでに気になる作品ですが、本当に面白くなるのは、おそらく上演後に「この戯曲は何を受け取って、何を変えたのか」を検証できる段階です。
だから今の時点では、期待値を煽りすぎるより、むしろこの企画が背負っている時間の長さを見ておきたいと思います。短い宣伝サイクルで消費される新作ではなく、6年かけて東京へ近づいてきた戯曲です。そう考えると、『スリーゴースト』は秋の話題作というより、日本の演劇がこれからどんな国際共同制作を育てていけるのかを測る試金石として見たほうが、ずっと面白いのではないでしょうか。
参考情報源
- PARCO STAGE「スリーゴースト」公式サイト
- ぴあエンタメ情報「堺雅人、17年ぶりの舞台出演も気負いなし PARCO PRODUCE 2026『スリーゴースト』製作発表会見」
- NiEW「堺雅人が17年ぶりに舞台出演、『スリーゴースト』10月にPARCO劇場で上演」
- Concord Theatricals「Simon Stephens」
- National Theatre「Adapting The Curious Incident of the Dog in the Night-Time for the stage」
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戯曲図書館 編集部
演劇経験者が運営する戯曲検索サービス「戯曲図書館」の編集チームです。 脚本選びのノウハウ、演劇業界の最新情報、公演レポートなどを発信しています。
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