『埋火(うずみび)』を「福祉の話」に閉じ込めないために
庭劇団ペニノの新作『埋火(うずみび)』が、香港で初演されました。ニュースとして見ると「視覚障害のある出演者と作る新作」「国際フェスティバル共同制作」という見出しで要約できます。しかし、この作品の重要さは、そうした“情報”だけでは取りこぼしてしまいます。
本作は、視覚障害の有無をめぐる表層的な多様性の話に留まりません。むしろ、演劇が長く依存してきた「見る芸術」という前提自体を揺さぶる試みです。何を見せるかではなく、どう感知させるか。俳優が感情を“表情で伝える”以前に、身体の距離、息、手の温度、音の層、暗さの圧力で、観客の知覚を編み替える方向へ舵を切っているのです。
この転換は、単なる手法の新しさではありません。テキストが意味を先導する従来モデルから、上演の知覚設計が意味生成を先導するモデルへの移行を示しているからです。
江戸・天保という設定が現在形になる理由
No Limitsの公開情報によれば、『埋火』(英題: Two Blind Women in the Snowy Tokugawa Nights - Sleeping Fires)は天保期を背景に、盲目の女性按摩師2人の関係を軸に進みます。ここで重要なのは、時代劇の衣装を借りたノスタルジーではない点です。
同時代には、視覚障害者の職能が制度化される一方で、その恩恵からこぼれ落ちる人びともいました。No Limitsのハウスプログラムが示す通り、男性中心の職能保護の外側に置かれた女性の存在が、ドラマの中核に据えられています。つまりこれは、過去の物語でありながら「制度に包摂される者/されない者」という現代的テーマを正面から扱う構造になっています。
さらに興味深いのは、抑圧を単純な善悪二項で処理していないことです。排除された側にも、嫉妬や依存、支配への欲望が立ち上がるため、観客は安全地帯から「かわいそう」と言うだけでは済まなくなります。
触れることが、読むことになる――触覚的ドラマトゥルギー
『埋火』が演劇史的に面白いのは、触覚を中心に据えたドラマトゥルギーです。按摩という行為は、台詞の前にすでに関係を語っています。手の置き方、押圧の強弱、間の取り方が、人物の心理や権力関係を先に暴いてしまいます。
言い換えると、ここでは「身体が意味を運ぶ」のではなく、「身体そのものが意味生成の現場」になっています。これは近年のイマーシブ作品とも共振しますが、『埋火』の独自性は、観客参加型のイベント性ではなく、俳優同士の知覚実践を作品の骨格にしている点です。
No Limits側が明示するアクセシビリティ設計(字幕、音声ガイド、キャプション読み上げ、音声版プログラム等)も、単なる鑑賞補助ではありません。上演を「誰に向けて最適化するか」という前提を単一観客モデルから複数観客モデルへ移し、結果的に演出そのものを変質させています。アクセシビリティが“追加機能”ではなく“創作条件”になったとき、演劇は形式ごと生まれ変わる。『埋火』はその実例です。
庭劇団ペニノの系譜の中で見ると、なぜこの作品が必然なのか
庭劇団ペニノは、空間への偏執的なこだわりで知られてきました。自宅改造劇場「はこぶね」期から、濃密で偏った世界を作り込む美術・音響設計、さらに近年のVR作品まで、知覚環境を丸ごと設計する実験を続けています。
この文脈で『埋火』を見ると、突然の方向転換ではありません。むしろ、ペニノが長年取り組んできた「観客の感覚器官に直接触る演劇」を、社会的・倫理的問いへ接続した到達点です。以前の作品群が“異様な部屋”を作ることで観客を攪乱したとすれば、『埋火』は“異なる知覚を生きる他者”との共存可能性そのものを舞台の中心に置きます。
また、タニノクロウが精神科医としての背景を持つことも見逃せません。診断や説明より先に、相手の微細な兆候を読む姿勢は、彼の演出に一貫して流れています。『埋火』ではそれが、視覚中心の理解から離れた「触れる理解」「聴く理解」へと拡張されています。
国際共同制作としての意味――香港初演が示したもの
本作はNo Limits(香港芸術祭と香港ジョッキークラブ慈善信託基金による共同主催プラットフォーム)からのアジア新規委嘱として制作され、香港文化中心で世界初演されました。ここには、輸出入型ツアーとは違う意味があります。
日本のカンパニーが完成作を持ち込むのではなく、企画段階からアクセシビリティ思想と共同開発する。しかも、鑑賞環境そのもの(字幕、音声、導線、案内情報)まで含めた設計が前提になる。このモデルは、今後の国際共同制作で非常に重要になります。
理由は明確です。作品の“中身”だけ国際化しても、受け取るインフラが旧来のままなら、結局は一部の観客しか届きません。『埋火』は、創作と受容のインフラを同時に設計することで、国際展開の実効性を一段上げています。日本の劇場文化にとっても、輸出可能なフォーマットは作品内容だけではないという示唆になります。
関連作品とあわせて読む視点
『埋火』を入口にするなら、庭劇団ペニノ『笑顔の砦』と『ダークマスター VR』をまず押さえるのがおすすめです。前者は共同体の親密さと暴力の反転を、後者は視覚中心の観劇習慣の揺らぎを、それぞれ別角度から提示してきました。『埋火』はその二つの問題系が交差した地点にあります。
古典で言えば『リア王』のような「見える者の誤認/見えない者の洞察」という反転構図も参照しやすく、知覚と真実の距離を問う視点を補強してくれます。
まとめ
『埋火(うずみび)』は、視覚障害を題材化した話題作というだけではありません。演劇を「見る芸術」から「感知を編成する芸術」へ押し出す、きわめて本質的な実践です。
庭劇団ペニノが積み重ねてきた空間実験、タニノクロウの身体観察、No Limitsのアクセシビリティ思想が結びついたとき、上演は“誰かに配慮した特別版”ではなく、最初から複数の身体に開かれた本体になりました。ここにこそ、この作品の歴史的意義があります。
演劇は、まだ変われます。『埋火』はそのことを、理屈ではなく舞台の実装で示した作品です。
Written by
戯曲図書館 編集部
演劇経験者が運営する戯曲検索サービス「戯曲図書館」の編集チームです。 脚本選びのノウハウ、演劇業界の最新情報、公演レポートなどを発信しています。